鳩摩羅什とは?般若心経・法華経・金剛経を訳した僧の壮絶な生涯

カテゴリ: 仏教人物

お寺の法要で般若心経を聞くとき、あるいは自分で経本を開くとき、冒頭に小さな文字が記されていることに気づいたことはあるでしょうか。

「姚秦三蔵法師鳩摩羅什訳」

般若心経にも、法華経にも、金剛経にも、阿弥陀経にも、観音経(普門品)にも、同じ名前が記されています。日本の仏教で日常的に読まれるお経の多くが、この一人の僧侶の手を通って今の形になりました。

しかし、この人物の生涯は、経文の中の穏やかさとはまるで正反対のものでした。捕虜として17年間軟禁され、二度にわたって妻帯を強いられ破戒しました。翻訳に費やせたのは人生の最後のわずか10年間だけです。その10年の仕事が、それから1600年にわたって東アジアの人々が触れる仏法の姿を決定づけました。

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般若心経も法華経も、訳したのはたった一人

鳩摩羅什(くまらじゅう、サンスクリット名 Kumārajīva)が長安で翻訳したのは、74部約384巻の仏典です。

数字だけなら驚くほどではないかもしれません。驚くのは、その一つひとつの重みです。

般若心経。日本のほぼすべての宗派で読誦される、最も短く最も有名なお経です。「色即是空、空即是色」の原文がここにあります。法華経。天台宗と日蓮宗の根本経典であり、「一切衆生悉有仏性」の宣言が記されています。金剛経。「応無所住而生其心」という一句で六祖慧能が大悟を得たお経です。阿弥陀経。浄土宗と浄土真宗で毎日読まれるお経です。維摩経。在家の修行者の理想像を描いた経典。中論。龍樹菩薩の空性哲学を説いた、三論宗の根本テキスト。

禅宗は彼の訳した金剛経で悟りを開き、浄土系の宗派は彼の訳した阿弥陀経を唱えて往生を願い、天台宗と日蓮宗は彼の訳した法華経を教えの柱としました。漢伝仏教の主要宗派の思想的基盤は、ほぼすべて彼の訳文の上に築かれています。

そして、その漢訳仏典がそのまま海を渡って日本に届きました。最澄も空海も法然も親鸞も日蓮も、読んでいたのはこの鳩摩羅什が訳した言葉です。日本仏教の骨格をつくった人々は皆、一人の西域僧が選び抜いた中国語を通して仏法に触れていたのです。

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鳩摩羅什以前にも仏典の漢訳はありましたが、その多くは逐語訳で、外国語を力ずくで中国語に押し込めたような文章でした。鳩摩羅什は方法を根本から変えました。まずサンスクリットの原義を徹底的に理解し、それを最も自然な中国語で書き直す。彼が追求したのは字面の正確さではなく、中国語で考え中国語で書かれたかのように読める経文でした。

一人の人間がこれを成し遂げるには、少なくとも二つの条件が要ります。サンスクリットの仏教学に精通し原典の意味を完全に貫通する力。そして中国語に精通し、自在に表現を創り出す力。この二つの条件を揃えるのに、彼は一生をかけました。

12歳で国王に説法した少年

鳩摩羅什は344年頃、亀茲国(きじこく、現在の新疆クチャ付近)に生まれました。父の鳩摩羅炎は天竺の宰相家に生まれながら求法のため東へ渡った人物で、母の耆婆は亀茲国王の妹でした。

7歳のとき母とともに出家。9歳で罽賓国(けいひんこく、現在のカシミール地方)へ赴き、部派仏教のアビダルマ論典を体系的に学びました。毎日千偈を暗唱できるほどの記憶力で、罽賓国王が12歳の少年を宮中に招いて説法を請うたほどです。

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その後、疏勒(そろく、今のカシュガル)で大乗仏教の学者・須利耶蘇摩に出会います。それまで鳩摩羅什が学んでいたのはすべて小乗(部派仏教)でしたが、般若経典と龍樹の中観哲学に触れて深い衝撃を受け、大乗へ転じました。この転換が、のちに彼が訳す経典の中心が大乗となることを決めました。

20歳前後で亀茲に戻ったとき、彼はすでに西域全体で最も名高い仏教学者になっていました。毎年の講経には各国の王が自ら参列し、ひざまずいて自分の背を踏み台にして法座に上がらせた王もいたと伝えられています。

ここまでで、翻訳に必要な一つ目の条件は完全に満たされました。大乗・小乗を問わず仏教学の全貌を把握する力です。ただ一つ、足りないものがありました。中国語です。

囚われの17年が、翻訳の鍵になった

鳩摩羅什の名声は中原にまで届いていました。前秦の皇帝・苻堅は、将軍・呂光に大軍を率いさせて亀茲を攻略し、鳩摩羅什を連れ帰ろうとしました。

384年、亀茲は陥落。呂光は鳩摩羅什を手に入れましたが、この武将は仏法にまったく関心がありませんでした。若く聡明でありながら無力な僧侶をからかい半分に酒で酔わせ、亀茲の王女と同室に閉じ込め、破戒を強いたのです。

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その後、前秦が滅亡すると、呂光は涼州(現在の甘粛省武威市)に「後涼」という独立政権を建てました。鳩摩羅什は涼州に留め置かれました。経典を訳す場はなく、教えを請う弟子もいない。西域では国宝のように敬われた人物が、ここではただの身分の曖昧な捕虜でした。

この軟禁は17年間続きました。

しかし鳩摩羅什はこの17年で一つのことを成し遂げています。中国語を完全に身につけたのです。涼州はシルクロードの要衝であり、漢民族と異民族が混在する多言語の環境でした。卓越した語学の才を持つ彼が17年間この環境に浸った結果、中国語で自在に思考し表現できる人間に変わっていました。

振り返れば、この17年がなければ、鳩摩羅什が長安に着いてもかつての訳経僧たちと同じように、サンスクリットを口述して他者に中国語で書き取らせるしかなかったはずです。仕上がった文章の質を自分で掌握することはできなかったでしょう。彼自身が中国語を使いこなせたからこそ、あの「翻訳に見えない翻訳」が可能になったのです。

17年の幽閉は、結果として彼に欠けていた最後の一片を埋めることになりました。

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401年、後秦の皇帝・姚興が後涼を滅ぼし、鳩摩羅什をついに長安へ迎え入れました。このとき彼は58歳でした。

58歳から始まった命懸けの翻訳

姚興は仏法を深く理解する君主でした。鳩摩羅什を国師として迎え、長安の逍遥園に国家規模の訳場を設置し、800人以上の僧侶を翻訳事業に配属しました。国家が主導する体系的な仏典翻訳は、中国史上初めてのことです。

鳩摩羅什はこの機会を30年以上待っていました。残された時間が多くないことも、わかっていたはずです。

彼の翻訳方法は前代の訳経僧とはまるで違いました。一人で書斎にこもる逐語訳ではなく、自らサンスクリット原典の意味を中国語で口述し、数百人の僧と議論を重ね、一文一文を正確かつ自然な表現に磨き上げていきました。最終的な判断を下すのは常に彼自身です。サンスクリット原典と中国語の双方を完全に掌握していたのは、その場で彼だけだったからです。

彼の訳文には独特の質があります。簡潔で、リズムがあり、暗唱しやすい。「色即是空、空即是色」はわずか八文字で般若の核心を余すところなく表現しています。「一切有為法、如夢幻泡影、如露亦如電、応作如是観」は四句の詩で空性の世界観を凝縮しました。六祖慧能が「応無所住而生其心」の一句で一瞬にして大悟したのは、意味の力にとどまらず、鳩摩羅什がその意味にふさわしい中国語のリズムを見つけ出していたからに他なりません。

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現代中国語で日常的に使われる「大千世界」「一塵不染」「天花乱墜」「曇花一現」といった熟語も、彼の翻訳に由来するものです。彼は仏典を訳しただけではなく、中国語そのものの表現の幅を押し広げました。そしてその言葉が海を渡り、日本語の中にも根を下ろしたのです。

しかし、姚興の手厚い庇護は、別の種類の苦しみも生みました。

蓮は泥の中から咲く

姚興は鳩摩羅什の才能が途絶えることを惜しみました。宮女10人を与え、僧団を離れて妻帯し子をもうけるよう命じたのです。

鳩摩羅什にとって、これは生涯で二度目の破戒でした。

僧団の中に動揺が広がりました。大師が妻帯したのだから自分たちもよいのではないか、と言い出す者も現れました。鳩摩羅什は弟子を集め、銀の針を盛った鉢を差し出してこう言いました。「この針をすべて飲み込めるなら、私の真似をしてもよい。」そう言って、自ら一本ずつ針を飲み込んでいきました。

誰一人、続く者はいませんでした。

彼はもう一つ、自分の生涯を総括するような言葉を残しています。「たとえば臭い泥の中に蓮の花が咲くようなもの。蓮だけを採れ、泥は取るな。」

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蓮とは、彼が訳した経典のことです。泥とは、彼が強いられた屈辱と破戒のことです。彼は自分を弁護することもなく、あれは本意ではなかったと釈明することもありませんでした。ただ弟子たちに告げたのです。私の法を学べ、私の運命は学ぶな、と。

413年、鳩摩羅什は長安で入滅しました。臨終に際して弟子たちに誓いを立てています。「もし私の訳した経文に誤りがなければ、荼毘に付しても舌は焼けないだろう。」

火葬の後、全身の骨は灰になりました。しかし舌だけが完全なまま残り、赤く透き通り、金剛石のように堅かったと伝えられています。

この舌舎利は現在、甘粛省武威市の鳩摩羅什寺に安置されています。1600年の歳月を経て、今もなお朽ちていません。一人の翻訳者が世界に残せる最も確かな証明は、他者の評価ではなく、自らの身体で証を立てること。この経文は、間違っていない、と。

次にお経を開いて「姚秦三蔵法師鳩摩羅什訳」の一行が目に入ったとき、一秒だけ手を止めてみてください。その九文字の背後には、17年の幽閉と、二度壊された戒体と、最後の10年間に自らを燃やし尽くすようにして続けた翻訳があります。彼の人生は泥でした。彼が訳したお経は、泥の中から咲いた蓮の花です。

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よくある質問

鳩摩羅什はどの仏典を翻訳しましたか?

約74部384巻の仏典を漢訳しました。般若心経、法華経、金剛経、維摩経、阿弥陀経、中論、大智度論など、東アジア仏教の主要宗派の根本経典のほとんどが含まれます。

鳩摩羅什の「舌が焼けなかった」伝説とは?

入滅前に「私の訳した経典に誤りがなければ、荼毘に付しても舌は焼けない」と誓いました。火葬後、全身は灰になりましたが舌だけが完全な形で残ったと伝えられています。この舌舎利は甘粛省武威市の鳩摩羅什寺に今も安置されています。彼の生涯は、どれほど理不尽な境遇に置かれても、信念と正念は消えないということを示しています。

公開日: 2026-02-18最終更新: 2026-02-18
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