薬師如来の真言「おん ころころ」の読み方。小咒と大咒の違い
薬師如来の真言として日本で広く唱えられる短句は、「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」です。病気平癒を祈るお勤めで耳にしたり、薬師堂に掲げられた文字を見たりして覚えた人もいるでしょう。
「薬師咒」という名前で検索すると、これより長い句や、違う音から始まる真言も出てきます。薬師如来に関わる読誦文は一つではありません。まず短い小咒と、大咒と呼ばれる長い形を分けておきます。
「おん ころころ」の本文
島根県の総本山一畑寺は、薬師如来の紹介で、次の小咒を公開しています。
オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
同寺が併記するサンスクリット語の形は、oṃ huru huru caṇḍāli mātaṅgi svāhāです。日本語の「ころころ」は、現代日本語の擬音として意味を取る箇所ではありません。音を写した文字が、仏教の読誦音として受け継がれてきました。
経本によっては「まとうぎ」「まとーぎ」のように、長い音を示す表記が異なります。何冊もの表記を組み合わせるより、唱える場で使う一冊に沿って覚えます。音声を聞くなら、その経本に対応するものが分かりやすいでしょう。
真言を日常語の文章へ一対一で訳し、「病気よ消えよ」という一文だけに置き換えると、伝わってきた音や儀礼の背景が抜けてしまいます。まずは薬師如来を仰ぐ言葉として、その読みを丁寧に確かめられます。
大咒と混ぜずに読む
一畑寺の資料には、小咒とは別に「ノウモ バギャバテイ」から始まる大咒が載っています。その途中には「オン バイセイゼイ バイセイゼイ」と続く箇所があります。
この大咒の語を、短い「オン コロコロ」のサンスクリット原文として並べると、異なる本文を対応させることになります。同じ薬師如来の読誦文でも、短句と長句は本文を分けて確かめます。
海外の仏教資料では、チベットで伝わる音写など、さらに違った形にも出会います。音の違いだけで正誤や優劣を決めず、どの伝統の、どの経本に基づく紹介かを見ることが先です。
寺院の法要で大咒が読まれているときに、手元の小咒を速く重ねて追いつこうとする必要はありません。経本の場所が分からなければ、いったん聞いていて大丈夫です。終わったあとに本文名を尋ねれば、次に参加するときの準備ができます。
病を救う本願から読む
薬師如来は、東方浄瑠璃世界の仏として説かれます。『薬師瑠璃光如来本願功徳経』では、菩薩のときに起こした十二の願いが語られ、病苦だけでなく、衣食の不足や孤立、仏道への歩みも救済の対象になります。
特に第七願では、病み苦しみ、助けてくれる人も医薬もない者への救いが説かれます。病気を抱える人が一人で置き去りにされる状況へ目を向ける願いです。第六願の身体に関わる救済と合わせて読むと、薬師信仰が病気平癒の祈りと結びついている背景が分かります。
十二願全体は、薬師経の読みどころで確認できます。病気の一つを治すだけで教えが終わるわけではなく、苦しむ人を仏道へ導く広がりがあります。また、薬師信仰を現世だけ、阿弥陀信仰を死後だけと切り分けるのも、経典の内容を狭めます。
病気の治癒を願い、薬師如来の加護を仰ぐことは、信仰として大切にされてきました。そのことと、特定の病気が何回の読誦で治ると保証することは別です。経典にある救済の言葉を、治療成績の数字に読み替えることはできません。
家で唱えるときの段取り
すでに家庭でお勤めをしているなら、家の経本に薬師真言があるかを見ます。薬師如来を本尊とする寺院の案内で習う場合は、その順序に沿ってよいでしょう。家庭の勤行は宗派で内容が違うため、すべての家に同じ短句を追加する決まりはありません。
唱える前には、経本が読める姿勢を選びます。椅子でもよく、痛いところを我慢して正座を続けることが真言の条件ではありません。声は息が楽に続く程度で、短句の途中に苦しさが出るなら、無理に一息で読み切らずに区切ります。
回数は、教わったお勤めに合わせます。数珠を使う場合も、数を落とさないことに追われて読誦を速める必要はありません。薬師信仰全体に共通する「百八遍を十分以内に」という基準はありません。
入院中や療養中であれば、火や線香を使わず静かに手を合わせることもできます。病室では施設のルールと同室の人への配慮が先です。音声を流し続けるより、本人が聞きたいか、いま休みたいかを確かめる方が、その人の助けになります。
祈る家族にも、休む時間がいる
大切な人が病気になると、何かできることを探したくなります。薬師真言を唱える時間を持ちながら、通院の付き添いや日々の連絡を続けることもできます。祈りと看護を競わせる必要はありません。
ただ、唱える役を一人で背負い、眠る時間まで削ると、支える側も消耗します。読誦を休んだ日を病状の変化と結びつけたり、回復が遅い理由を祈りの不足に求めたりしないでください。本人や家族の信仰だけで病気の経過を判断することはできません。
治療について気になる点は医療者へ伝え、祈りについて話したいことは信頼する寺院で聞いてもらう。それぞれの助けを受けながら、病人の希望にも耳を傾けます。薬師如来へ向ける言葉が、目の前の人の苦しさを聞く時間にもつながっていきます。
よくある質問
薬師如来の短い真言は何ですか?
一畑寺の公開資料では「オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」と記されています。表記や節は経本に沿って確かめます。
「オン バイセイゼイ」と同じ真言ですか?
薬師如来に関わりますが、同一の短句ではありません。一畑寺は「オン コロコロ」で始まる小咒と、「ノウモ バギャバテイ」から続く大咒を分けて掲載しています。
家族の病気のために唱えてもよいですか?
病気平癒を願って唱えることはできます。病人の休息や希望を尊重し、読誦を治療の代わりにしたり、回復しないことを本人の信心のせいにしたりしないことが大切です。