往生呪(おうじょうしゅ)とは?亡き人を送り、生きる人の心を癒す真言

カテゴリ: 仏教経典

葬儀会場の静けさの中、お線香の香りが漂っている。大切な人がもうこの世にいないという現実を、頭では分かっていても心が追いつかない。

医師に「ご臨終です」と告げられたあの瞬間から、自分には何もできないという無力感が重くのしかかる。

仏教では、そんな時にできることがあると言われています。往生呪を唱えることです。

これは迷信でもおまじないでもありません。口を開いて真言を唱えることで、自分の心に居場所ができます。そして浄土の教えによれば、この真言の力は亡き人の魂を苦しみから解き放ち、安らかな世界へと導くとされています。

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往生呪の由来

往生呪の正式な名前は「抜一切業障根本得生浄土陀羅尼(ばついっさいごうしょうこんぽんとくしょうじょうどだらに)」といいます。

名前そのものが、この真言の働きを表しています。一切の業障の根本を抜き去り、浄土に生まれることを可能にする陀羅尼、という意味です。

「陀羅尼」とはサンスクリット語の「ダーラニー」を音写したもので、「総持」と訳されることもあります。短い言葉の中に、無量の意味と功徳が凝縮されているのです。往生呪は五十数文字しかありませんが、阿弥陀仏が衆生を救い取るという本願の力がすべて込められていると言われています。

なぜこれほど短い言葉に、そのような力があるのでしょうか。

なぜ真言に力があるのか

多くの方が疑問に思うことかもしれません。数十の音を唱えるだけで、人の死後の行き先に影響を与えられるのか、と。

これには二つの側面から説明できます。

一つ目は仏の本願力です。浄土の教えでは、阿弥陀仏が遥か昔に四十八の大願を立てたとされています。その中でも最も重要な願いは、「極楽浄土に生まれたいと願う者は、臨終の時に必ず迎えに行く」というものです。往生呪は、その本願を呼び起こす鍵のようなものです。この真言を唱えるとき、阿弥陀仏の願力と自分の心がつながるとされています。

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二つ目は心の力です。往生呪を唱えている間、心は静まり、善い方向へ向かい、慈しみの念が生まれます。現代の心理学でも、集中した意識状態が心身に良い影響を与えることが知られています。仏教では、この心の力を回向によって故人に届けることができると考えられています。

この二つは別々のものではありません。私たちの真摯な心が仏の願力を起動し、仏の願力が私たちの心を支えるのです。

往生呪の全文と唱え方

以下が往生呪の全文です。

南無阿弥多婆夜(なむあみとばや) 哆他伽多夜(たたぎゃたや) 哆地夜他(たぢやた) 阿弥利都婆毗(あみりとうばび) 阿弥利哆(あみりた) 悉耽婆毗(したんばび) 阿弥唎哆(あみりた) 毗迦蘭帝(びきゃらんでい) 阿弥唎哆(あみりた) 毗迦蘭多(びきゃらんと) 伽弥膩(ぎゃみに) 伽伽那(ぎゃぎゃな) 枳多迦利(ぢたきゃり) 娑婆訶(そわか)

漢字と読み仮名を載せましたが、一つ一つの意味を理解する必要はありません。大切なのはです。

いくつかの心得があります。

速く唱える必要はありません。回数を稼ごうとして急ぐと、心が散漫になり、口も曖昧になってしまいます。少なく唱えても、一遍一遍を丁寧に、心を込めて唱える方がずっと良いのです。

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唱え終わったあとには回向します。功徳を方向づけなければ、せっかくの修行も定まりません。心の中で「この功徳を○○様(故人のお名前)に回向いたします。業障が消え、西方極楽浄土に往生されますように」と念じます。ご自身の業障消除を願う場合は、累世の怨親債主に回向する形が一般的です。

どんな時に唱えるのか

往生呪を唱える場面は、大きく分けて三つあります。

一つ目は、臨終や葬儀、そして四十九日の間です。大切な方が旅立とうとしている時、あるいは旅立った直後に、往生呪を繰り返し唱えます。21遍や49遍を一つの単位とすることが多いようです。仏教では、臨終時の心の状態が次の生に強く影響すると言われています。この時に真言を唱えることで、故人の心が恐れや執着に引きずられず、穏やかに浄土へ向かう手助けになるとされています。

二つ目は、日常の修行としてです。往生呪は亡き人のためだけのものではありません。毎日21遍、49遍、あるいは108遍と決めて唱えることで、業障が少しずつ取り除かれ、福徳が積まれていきます。これは自分自身がいつか迎える往生への備えでもあります。念仏法門を修行されている方は、往生呪を毎日の課として組み込んでいることも珍しくありません。

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三つ目は、終活の一環としてです。日本では「人生の締めくくりを自分で整える」という終活の考え方が広まっています。遺言を書く、お墓を選ぶ、身の回りを整理するといった準備と同じように、心の準備として往生呪を習い、日々唱えるのも終活の形です。自分の死に対して向き合うことで、漠然とした不安が少しずつ和らいでいくことがあります。

生きている私たちへの功徳

往生呪は「死」に関わる真言だと思われがちですが、生きている人にとっても大きな意味があります。

一つは業障の消除です。誰もが過去世から積み重ねてきた業を背負っています。それが今生で病気や災難、人間関係のこじれとして現れることがあります。往生呪の正式名称は「一切の業障の根本を抜く」というものでした。この真言を日々唱えることは、その重荷を少しずつ下ろしていく行為とも言えるでしょう。

もう一つは死への不安の軽減です。現代人の多くは、死について考えることを避けがちです。しかし、避けたからといって恐れが消えるわけではありません。むしろ、言葉にできない不安として心の底に沈んでいることが多いのです。往生呪を唱えることは、死と正面から向き合うことでもあります。自分の行き先がある。阿弥陀仏の願力がある。そう信じることができたとき、死は終わりではなく通過点になります。

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この心の安らぎこそが、往生呪がもたらす最も大切な贈り物かもしれません。

よくある質問

往生呪はいつ唱えるのが効果的ですか?

日常の修行として毎日唱えても良いですし、大切な方の臨終時や四十九日の間に唱えることで、故人の安らかな旅立ちを願うことができます。

自分のために往生呪を唱えても意味がありますか?

はい。往生呪は業障を取り除く真言ですので、生きている方が唱えることで心の浄化と安心が得られます。終活の一環として実践されている方も少なくありません。

公開日: 2026-02-09最終更新: 2026-02-09
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