三身とは?法身・報身・応身から仏のあり方を読む

釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来。仏の名前を覚えているところへ、法身、報身、応身という別の言葉が出てくると、また三人増えたように感じるかもしれません。

三身は、仏のあり方を法身・報身・応身の三つから説明する言葉です。名前を三つ並べた名簿ではありません。何をさとった仏なのか、そのさとりはどう成就され、人々にどう届くのか。こうした問いを読み分けるための入口になります。

「身」を、手足のある身体だけで考えない

法身は「ほっしん」、報身は「ほうしん」、応身は「おうじん」と読みます。報身仏を「ほうじんぶつ」と読む説明もあります。三身は「さんじん」、また「さんしん」と読みます。天台の古典『金光明玄義』は、身を「聚」、つまり集まりとして説明し、理法・智慧・功徳の三つを挙げます。「身」という字を見て、見えない巨大な肉体を思い描くより、仏の徳やはたらきのまとまりとして読めるのです。

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同書では、三身のほかに三宝や三種の涅槃も論じます。同じ三という数でも、何を説明する区分なのかは違います。仏・法・僧という三宝と、法身・報身・応身とは、見出しを分けて覚えられます。

法身を、ただの空白にしない

法身は、真理そのものとしての仏のあり方を指します。『金光明玄義』では理法を法身、理を明らかにする智慧を報身と述べています。この区別では、どんな法をさとるかという面と、その法をさとった智慧という面が結び付いています。

形がないと聞くと、何もない空白だろうか、という疑問も生まれます。『大乗起信論』は、法身を虚空のようだと聞いて、虚空そのものを如来の本性だと思い込む見方を取り上げています。また、空という言葉から、真如には何も具わらないと理解することにも問いを向けます。

この論では、法身には智慧などの清らかな功徳が具わると説かれます。形をつかめないということと、智慧や慈悲のはたらきがないということを、同じにしてはいないのです。空間のどこにあるかを探す問いから、仏のさとりを何として語るかという問いへ、話が移っています。

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報身の「報」は、願いと修行の実り

報身を読む手がかりは、因に報いるという意味です。『新纂浄土宗大辞典』の三身の項は、本願を立て、修行によって成就した仏と説明しています。罰を受ける意味での「報い」を思い浮かべると、逆の印象になってしまいます。

具体的な仏の名と結び付く例が、阿弥陀仏です。真宗大谷派大阪教区の本多惠師の説明では、阿弥陀仏を、本願に報いて現れる報身仏として説いています。仏の固有名と、その仏をどのあり方から説明するかという言葉が、ここで重なります。

ただし「阿弥陀仏は報身」と知った後で、他の二身とは無関係だと結論づけることもできません。浄土宗大辞典は、法然が阿弥陀仏を報身としながら、内証には三身を具えると捉えたことも説明しています。一つの仏をどの面から説くかによって、文章の焦点が変わるのです。

「本願」が誰の願いかを確かめたい場合は、往相・還相回向の説明にも進めます。こちらは浄土真宗の教えとして読む入口です。

応身は、人々に向けて現れる

応身は、衆生に応じて現れる仏の姿を表します。大阪教区の説明では、人の姿で教えを説く釈迦が代表として挙げられています。仏の真理を語ることと、現実に人々が聞ける言葉で教えが説かれること、その両方が大切にされています。

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『金光明玄義』は、法身だけが真実で、他の二身は真実ではないという見方に対し、三身をともに真実とする面を論じます。応身についても、人々を利益するという意味から真実だと述べています。「応じて現れたのだから偽物」と片付けてはいません。

形をとることによって、教えに遇える人がいる。応身の説明を読む際には、その相手との関係が抜け落ちないようにしたいところです。姿を持つことを、真理より価値の低いものと決めるための区分ではありません。

同じ三語でも、論書の問いは違う

『大乗起信論』は、このはたらきを説く前に、諸仏が修行の時に大慈悲を起こし、衆生を度する誓願を立てたことを記しています。形を分ける説明の背後にも、人々を救う仏道が置かれています。

同じ論には、仏のはたらきを見聞きする側から、応身と報身を分ける文章があります。凡夫や二乗の心に見えるものを応身とし、菩薩の心に見えるものを報身として説きます。さらに、菩薩の段階によって見え方も異なると続きます。

この箇所で問われているのは、仏の身体の寸法を誰が正しく測れるかではありません。教えを受け取る者のあり方と、仏の現れがどう関わるかです。一方、『金光明玄義』の理・智・功徳という説明では、仏の徳をどう分けて論じるかが前面に出ています。

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大日如来を法身として学ぶときにも、その密教の文脈を保って読めます。三身の表に一度名前を入れたら、すべての宗派の説明が終わるわけではありません。手元の本が何を問うているか、今読んでいる文の前後へ戻る。その読み方を持つと、同じ仏について異なる説明を聞いた際にも、違いのある場所を尋ねられます。

よくある質問

法身・報身・応身は、三人の仏の名前ですか?

個々の仏の固有名ではなく、仏のあり方を説き分ける言葉です。真理そのもの、願いや修行の成就、人々に応じるはたらきなど、どの面を説明しているかを見ます。一仏に三身を具えるという説き方もあります。

三身と三宝は同じ意味ですか?

別の言葉です。三宝は仏・法・僧を指します。三身は法身・報身・応身として仏身を説明する区分です。金光明玄義では両者の関係も論じられますが、用語としてそのまま置き換えることはできません。

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