往相回向・還相回向とは?浄土真宗でいう二つの方向

法話で「浄土へ往き、還ってくる」と聞くと、亡き人が再び家に来ることだろうか、と考えるかもしれません。けれど、往く先と還る先を場所だけで思い描くと、この言葉に込められた仏道の意味が見えにくくなります。

往相回向は「おうそうえこう」、還相回向は「げんそうえこう」と読みます。浄土真宗では、阿弥陀仏の本願によって浄土に往生し、さとりを得ることと、苦悩する衆生を利益することに関わる、二つの相を表します。どちらも「回向」と呼ぶところが、読み始める鍵です。

回向するのは、誰なのか

回向という語を、自分が行った善いことの功徳を、他の人へ向ける意味で聞いたこともあるでしょう。親鸞の教えを読むときには、まず、阿弥陀仏から衆生へという方向を確かめます。

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本願寺派の宗制・第三章は、往相と還相を、ともに本願力回向のはたらきとして示しています。私が功徳を用意して仏へ届け、その見返りに往生させてもらう、という交換の説明ではありません。

親鸞は『教行信証』の「教巻」の初めに、往相と還相の二種の回向を挙げ、往相について教・行・信・証があると記します。本の入口から、この二つの方向が示されているのです。「回向」を勤行の最後の文だけの名前として覚えていると、ここで少し見方を広げることになります。

往相は、浄土へ移るだけの話ではない

教・行・信・証は、それぞれ教え、行、信心、さとりを表す語です。『教行信証』の「行巻」は、無碍光如来の名を称える行を挙げ、その行が大悲の願いから出たものだと述べます。称える声は私の声であっても、それを私が作り出した救いの資格として数えるわけではありません。

「証巻」の初めでは、さとりが無上涅槃の極果として説かれます。また、往相回向の心と行を獲た凡夫が、必ずさとりに至る正定聚に入ると記されます。煩悩のある私と、すでに煩悩を尽くした仏を、そのまま同一にする文章ではありません。

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この違いを含めて、本願寺派の宗制は、信心を得た現在の正定聚と、浄土に往生して仏となることを説いています。往相の行き着くところは、居心地のよい別の世界に移住することより深い、迷いを離れたさとりです。宗学院の深川宣暢師の公開講義資料でも、往生と成仏を結び付けて教えが説明されています。

「還る」のあとには、教化が続く

「証巻」の還相を説く箇所では、まず利他教化の利益が述べられ、その根拠として『浄土論』と曇鸞の『論註』が引かれます。親鸞の短い説明の後を、先人の文章が支えています。

『浄土論』から引く文には、生死の園、煩悩の林という表現があります。苦悩する衆生を大慈悲によって見て、その世界に応化の身を現し、教化する。穏やかな場所へ去ることだけで救いの説明を閉じず、苦悩のあるところへ向かうはたらきが語られます。

続く『論註』の文は、かの浄土に生まれた後、止観と方便の力を成就し、衆生を教化して共に仏道へ向かわせる、と説明します。往くことも還ることも、衆生を生死の海から渡すためだという一文まで続きます。「戻る」という移動の動詞だけを取り出さず、その目的まで読む必要があるのです。

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ここでの還相は、凡夫が自分の力量だけで人を救い切るという決意でもありません。親鸞は同じ箇所で、因も果も阿弥陀如来の願心によって成就すると述べています。自然法爾の「はからい」と併せて読むと、自分を救済者に仕立てることとは異なる、他力の意味を確かめられます。

亡き人を思う言葉を、急いで判定しない

亡き人について「今も導いてくださる」と聞くとき、その人から受け取った教えや、仏のはたらきに遇う思いが重なっていることがあります。一方、「還相」という語そのものは、夢に出た、物音がしたといった出来事の原因を調べるための言葉ではありません。

また、『論註』が述べる相手は一切衆生です。自分の家族だけを見守り、家族の願いだけをかなえる役目に限ると、本文の広がりが失われます。身近な人を慕う気持ちを消す必要はありませんが、教えが向ける先は、身内という範囲を越えています。

おつとめの言葉に戻るとき

正信偈で曇鸞の名を聞いたら、還相の説明で引用された『論註』の著者だったことを思い出せます。高僧の名前の列が、親鸞の言葉を支える具体的な文章につながります。

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法話で分からなくなったときは、「今の回向は誰からのはたらきですか」「往生と成仏はどうつながりますか」と、聞き取った一句に沿って尋ねられます。二つの用語の暗記から一歩進み、文章の主語と目的を確かめる質問です。

浄土に往生することが、なぜ他者へのはたらきにつながるのでしょうか。往相だけなら、自分の行く末に目が向きやすいかもしれません。還相まで読むと、そこには苦悩する他者へのはたらきが説かれています。『教行信証』の「証巻」は、その利他の意味を確かめて結ばれます。往くことと還ることを併せて読むと、さとりを自分一人の安らぎとして閉じることのできない、教えの姿が現れます。

よくある質問

往相回向と還相回向は、どう読みますか?

おうそうえこう、げんそうえこう、と読みます。浄土真宗では、阿弥陀仏の本願力による回向の二つの相です。浄土に往生してさとりに至る往相と、迷いの世界で衆生を利益する還相を、つながったものとして学びます。

還相とは、亡くなった人が家に戻ることですか?

教行信証で説かれる還相は、浄土に往生した者が、本願力によって苦悩する衆生を教化するはたらきです。特定の日に家へ帰ることや、夢・物音などを亡き人の来訪と判定するための説明ではありません。

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