SNSを見て疲れたとき、仏教から考える「見続けない」工夫
SNSを見たあとに疲れが残るなら、まず何を見ると、どんな行動が続くのかを一つ確かめてみてください。他人と比較して何度も数字を見るのか、腹が立って返信を書き続けるのか。それによって、変えられる箇所が違います。
仏教には、感覚の働きを守る教えや、心身のあり方を確かめる正念があります。スマートフォンの使い方を直接説いた教えではありませんが、見聞きしたものにどう関わるかを考える手がかりになります。
六根を守るとは、目も耳も閉じることか
六根(ろっこん)は、眼・耳・鼻・舌・身・意という六つの感覚の働きを指します。「意」も含まれるので、画面を閉じたあとに浮かぶ考えも、ここでは関わりのある対象です。
初期経典の『一切漏経』に当たる中部第2経では、眼や耳などを無防備にしておくと煩悩や悩みが生じるため、適切に考察して感覚の働きを守ることが説かれます。これは、自分に不都合な事実は何も見ないという意味ではありません。
SNSへ応用するなら、情報を見たあと、何をさらに追いかけているかを確かめます。商品を一つ調べるつもりが、買わないと取り残される気がして他人の持ち物を見続ける。出来事を知るつもりが、怒りの強い投稿ばかり読み続ける。こうした違いです。
「六根清浄」という言葉には宗教上の広い意味があり、端末の通知を消すことだけを指す語ではありません。設定の変更は、教えを現代の生活へ引き寄せた一つの工夫として考えます。
気づいたあと、何をするか
正念は、ただ「今にいる」ことだけで説明し尽くせません。相応部45.8では、身・受・心・法を観察する実践として述べられ、正見や正精進などと同じ八正道の中に置かれています。
嫌な気持ちをすぐ消せなくても、今その気持ちがあることに気づくことはできます。そのうえで、見知らぬ人を罵る文を送ろうとしていないか、確かめていない情報を広めようとしていないかを見る。気づきと、言葉や行動を選ぶことを切り離さないでおきます。
五蘊も、自分の経験を固定した「私」としてつかまないための重要な教えです。ただし、五蘊を「刺激、感情、イメージ、行動」の順に動く機械の図として扱うことはできません。投稿を見た直後の数ミリ秒を捕まえなければ修行にならない、と考える必要もありません。
返信欄に書いたあとでも、送信前なら保留できます。送ったあとに問題へ気づいたなら、訂正や削除、謝罪という対応が考えられます。気づけるのは、感情が生じる前だけではないのです。
「開く前」より、開いた後も見直す
画面を開く前に、目的を短く言葉にしてみます。「友人からの返信を確認する」「電車の運行を調べる」などです。目的を済ませたところで、いったん閉じる区切りを作れます。
すでに見続けていた場合は、その場からで構いません。今調べている情報は、最初の用事にまだ関係があるか。新しい内容を得ているのか、同じ話を別の投稿で繰り返し確認しているのか。ここを確かめます。
時間制限や通知の設定を使うのも一案です。設定したこと自体を意志の弱さの証拠と考えず、用事のないときに開くきっかけを減らす道具として使います。すべての通知を一度に止めるより、不要なおすすめ通知から試してもよいでしょう。
比較と怒りには、違う区切りを
他人の暮らしと比べ続けてしまう場合は、繰り返し見に戻るアカウントや数字があるかを確かめます。一定期間ミュートする、反応数を見ないで済む表示を使うなど、可能な範囲で調整します。相手を悪い人と決める必要はありません。
怒りが強い場合は、返信を下書きに置いたまま少し時間を空けます。事実について指摘したいのか、相手に恥をかかせたいのか。同じ批判でも、目的によって書く言葉が変わります。
煩悩についての解説は、貪りや怒りを、自分だけが持つ異常な心と思い込まないためにも役立ちます。それを理由に他人への攻撃を正当化するのでもなく、次の行為を見直していきます。
不快な内容を見たら必ず離れる、という一律のルールではありません。不正や被害を知り、対応する必要がある場面もあります。その場合は、怒りを強める投稿を延々と読むより、一次情報や相談先、具体的にできることを調べる時間に移します。
必要なつながりは残してよい
仕事の連絡、介護や子育ての相談、災害情報など、端末を離せない事情もあります。寝室から必ず追い出すという方法が、すべての人に合うわけではありません。緊急の連絡は受け取れるようにして、それ以外を静かにする方法もあります。
縁起は、物事が条件によって生じることを説く教えです。「宇宙のすべてとつながっていると感じれば、SNSの孤独が消える」という説明にはしません。生活に引き寄せるなら、通知、疲れ、暇な時間、心配事など、見続ける条件を具体的に見直すほうが役立ちます。
今夜試すなら、見たあとに負担が残る使い方を一つ選び、通知か返信の仕方を一か所だけ変えてみます。画面を閉じたあとの時間は、食事や入浴、人との会話などへ戻してもよいでしょう。日常の中の実践は、端末の利用時間だけで評価するものではありません。
不安や不眠が続き、生活に支障が出ている場合は、宗教的な工夫だけで抱えず医療や相談機関を利用してください。SNSを使ってしまった自分を責めるより、負担を減らせる助けを増やしていきます。
よくある質問
六根を守るとは情報を全部断つことですか?
目や耳などの働きを止めることではありません。見聞きしたものへの貪りや怒りが増すあり方に注意する教えです。必要な連絡を受けながら、見る範囲や時間を調整する応用が考えられます。
SNSを見て腹が立ったら、仏教の実践に失敗したのでしょうか?
感情が生じたことだけで失敗とはしません。そのまま相手を傷つける投稿をするか、一度返信を保留するかなど、次の言葉と行動を確かめられます。
正念は何も評価しないことですか?
仏教の正念は八正道の一つで、正見や正精進などとともに修められます。気づくだけであらゆる判断を捨てるという意味ではなく、害を増やす行いを避けることとも関わります。