慈しみの瞑想メッタの始め方。無理に好きにならず、幸せを願う
メッタは、自分を含む生きものの幸福や安穏を願い、慈しみを育てる仏教の実践です。日本語では「慈悲の瞑想」と紹介されることもありますが、パーリ語のメッタは、より正確には慈しみを表す「慈」に当たります。
「私が安全でありますように」と願っても、温かい感情がすぐ湧くとは限りません。それでも始められます。好きという気分を作ることと、害がなく安穏であってほしいと願うことは、同じではないからです。
慈と悲を分けると、願いが見えやすい
仏教には、四無量心と呼ばれる慈・悲・喜・捨の四つの心のあり方が説かれます。慈は幸福や安穏を願うこと、悲は苦しみから離れることを願うことです。関わり合うものですが、まったく同じ意味ではありません。
『慈経』として知られるスッタニパータ1・8は、近くにいる者も遠くにいる者も、見える者も見えない者も含め、限りなく慈しみを向けることを説きます。人を欺いたり、怒りから害を願ったりしない態度とも結びついています。
そのためメッタは、坐っている数分だけ穏やかな気分になる練習に尽きません。日々の言葉や行いにおいて、人を害する方向へ進まないことにも関わります。
「慈しめば必ず相手が優しくなる」という働きかけでもありません。相手を変えるための暗示ではなく、まず自分がどのような願いを育てるかを確かめます。
短い言葉を、無理のない姿勢で
初めてなら、椅子などで楽に座り、周囲が安全で落ち着いて過ごせるかを確認します。目は閉じても開けてもよく、閉じると不安が強い場合は、開けたままで始められます。呼吸を深くしようと操作する必要はありません。
次のような短い言葉を、一つか二つ選びます。これは実践のための現代語の例で、経典の逐語訳ではありません。
私が安全でありますように。
私が穏やかに暮らせますように。
言葉を急いで何度も重ねず、何を願っているかを確かめます。イメージが浮かばなくても大丈夫です。数分ほどで区切り、椅子の感触や周囲の音に注意を戻して終える方法から始められます。
自分へ願うことが苦しい人は、まず安心して思い浮かべられる相手を選ぶ方法もあります。「自分を慈しめない人は他人も慈しめない」と、自分を採点し直す必要はありません。始める順序は、受ける指導やその日の状態に合わせられます。
対象を広げるとき、急がない
ブッダラッキタ長老の実践解説など、伝統的な指導では、親しい人、中立的な人、難しさを感じる相手などへと慈しみを広げる方法が説明されます。ただし、一回の練習で全段階を終える決まりではありません。『慈経』そのものも、全員に同じ五段階の手順を指定する説明書ではありません。
安心して思い浮かべられる相手には、「この人が安全でありますように」と願えます。相手の人生を細かく想像する必要はありません。どの学校へ行くべきか、誰と結婚すべきかなど、自分の希望を相手の幸福と同一にしないことも大切です。
中立的な人に向けるときも、その人の家族や事情を作り込まなくてよいでしょう。よく知らなくても、苦しみや幸福に関わる生きものとして、その人の安穏を願えます。
苦手な相手を選ばない日があってよい
暴力や深い傷を思い起こさせる相手を、初心者が無理に対象にする必要はありません。強い緊張やつらい記憶が出たら、思い浮かべるのをやめ、周囲を見て休みます。安全な対象に戻ることや、その日は終えることも選べます。
相手への憎しみを育てないことと、再び近づくことは別です。慈しみを理由に危険な関係へ戻ったり、謝罪を受け入れたりする義務はありません。被害への対応や必要な距離は、そのまま保てます。
最後に「すべての生きものが安穏でありますように」と広く願うこともできます。ただ、言葉を言えたから高度な境地に達したと判定する必要はありません。いまの願いを少し広げる実践として続けられます。
研究が報告した変化をどう読むか
メッタに近いloving-kindness meditationは心理学でも研究されています。2008年の研究では、働く成人139人を対象に、一部の参加者が慈しみの瞑想を学ぶ介入を受け、日々の肯定的感情や個人的資源との関わりが検討されました。
結果は、肯定的感情の増加と、その後の資源や生活満足感などとの関係を報告しています。ただし、この一研究から、誰でも孤独が解消する、ストレスホルモンが必ず下がる、病気が治るとまでは言えません。具体的なプログラムの研究と、自宅で短く言葉を唱える方法の効果も、同じとは限りません。
米国NCCIHの瞑想と安全性の情報も、望ましくない体験や研究上の限界を扱っています。瞑想だから誰にでも安全と考えず、苦痛が続く場合には指導者や必要な医療の支援へ相談します。
日々の関わりへ戻す
正念や禅定とメッタは、必ず前後に並ぶ級別の課題ではありません。学ぶ伝統によって、注意の安定や慈しみをどう育てるかは異なります。興味が続けば、寺院や信頼できる指導者のもとで背景も学べます。
練習を終えたあとには、一つの行動へ目を向けてみます。急いでいる相手へ余分な用事を頼まない、自分にも休む時間を取る、人の困りごとを最後まで聞く。慈しみの言葉を、相手の事情を尊重する行動につなげられます。
禅とマインドフルネスの違いを知ることも、実践の目的を確かめる助けになります。今日は何も感じなかった、という日があっても、無理に感動を作らず、短く願って日常へ戻れます。
よくある質問
メッタは、自分を好きになるための瞑想ですか?
自分を含む生きものの幸福や安穏を願う実践です。好ましい感情を必ず起こすことや、自己評価を高くすることだけが目的ではありません。
傷つけてきた相手にも慈しみを向ける必要がありますか?
初心者が無理にその相手を思い浮かべる必要はありません。安全な対象で続け、苦痛が強ければ中断します。相手へ近づくことや、被害を許すことを求める実践ではありません。
メッタの言葉を繰り返しても何も感じません。失敗ですか?
失敗と決める必要はありません。特定の感情を作ろうと力まず、短い願いを確かめるところから始められます。つらさが増す場合は無理をせず、指導者や必要な支援へ相談します。