忍性、病む人のそばに立った鎌倉時代の僧
奈良の北山十八間戸には、細長い建物に戸口が並んでいます。この場所の由来を読むと現れるのが、忍性(にんしょう)という僧の名です。鎌倉の極楽寺にも、同じ名が伝わります。
忍性は、鎌倉時代に病む人や困窮する人の救済に取り組んだ律宗の僧です。その活動には、戒を守る修行と、文殊菩薩への信仰が深く関わっていました。建物の歴史と経文を行き来すると、人を助けることが、なぜ仏を敬うことと結び付いたのかが見えてきます。
北山十八間戸に残る、暮らしの場所
奈良市の説明資料によると、北山十八間戸は、忍性が「癩」と呼ばれた病気の患者を救済・保護するために設けたとされる施設です。市の資料はハンセン病との関わりを説明しています。かつての病名が記されていても、一人ひとりの診断を今から確かめられるわけではありません。
現在の建物は1693年の再建です。長さは約38メートルで、小さな部屋が連なり、東端には仏間が設けられています。忍性がいた当時の建物が、そのまま残っているのではありません。それでも、堂の中の仏像とは違う形で、人が住む場所と仏をまつる場所との近さを伝えています。
戒を学んだ僧が、救済に向かう
忍性は1217年に生まれ、1303年に亡くなりました。師の叡尊とともに、西大寺系の律宗の活動を担った僧です。吉澤悟による中世の救済活動の研究報告は、二人の救済活動の背景に、『文殊師利般涅槃経』の教えがあったことを述べています。
戒律と聞くと、自分の生活を厳しく整える決まりを思い浮かべるかもしれません。忍性の活動をたどる際には、そこへ、人を供養するという宗教的な意味が加わります。病む人や貧しい人を、文殊菩薩の化身として迎える信仰です。
ここでいう供養は、亡くなった人のための法要に限りません。いま目の前に生きている人へ向かう行いでもあります。では、経文は何と説いているのでしょうか。
文殊菩薩は、どこに現れるのか
『文殊師利般涅槃経』の原文には、文殊を供養して福業を修めようとする人の前に、文殊自身が、貧しく孤独で苦しむ人の姿となって現れる、と説く箇所があります。供養する側が仏を求めている時、その相手は、助けを必要とする人の姿でやって来るのです。
このくだりを読むと、供養する場所が仏前だけに閉じないことに気づきます。仏像へ花を供える時には、その相手を敬っていると自分でも分かります。しかし、困っている人が訪ねてきた時には、同じように迎えられるとは限りません。経文は、その出会いにも菩薩への供養がありうると語っています。
さらに、文殊を念ずる人は慈しみの心を行うべきであり、慈しみを行うことが文殊に会うことなのだ、と続きます。姿を見たいという願いに対して、他者へどう振る舞うかが示されます。文殊の名を知っていることと、その教えを行いに移すこととの間を、この短い言葉がつないでいます。
困窮する人を「助ける対象」としてだけ見れば、与える側と受ける側が固定されやすくなります。ところが、この経文では、受ける側の姿をした菩薩が、供養する人の前へ来ます。相手は、こちらが善いことをしたと確認するためだけの存在ではありません。敬うべき相手として迎えるという読み方が、そこから生まれます。
鎌倉の極楽寺にも、施薬の営みがあった
鎌倉市観光協会の極楽寺案内では、1259年に北条重時が開基となり、その後、忍性を開山に迎えたと説明されています。寺を支える創建者と、僧として寺を開く人の役割が、別々の名前で伝えられています。
極楽寺には、病院や施薬院などが設けられました。境内には、薬を作るために使われたと伝える石の薬鉢も残ります。今の病院と同じ仕組みを思い描くことはできませんが、寺の活動に、病む人のための場や道具が含まれていたことが分かります。
僧と人々との関わりは、托鉢で施しを受ける場面にもあります。ただ、施しを受ける行と、病む人が暮らす施設を維持する仕事は、それぞれに異なる営みです。忍性を知る時には、何を受け、誰のために、どのような場を支えたのかまで目を向けられます。
忍性の名の周りにいた人々
吉澤の研究は、仏像の断片や石造物、墓から出た品なども調べています。そこから、大工・木工・漆工・石工らの連携や、地域と身分を越えた人々との結び付きが論じられています。伝記に大きく名が残る僧の周りにも、働き、支える人々がいました。
奈良時代の行基と忍性を続けて読むと、仏教と人々の暮らしとの関わりを、異なる時代から考えられます。どちらも「慈悲深い僧」の一言で覚えることはできますが、それだけでは、活動した場所や、よりどころにした教えの違いが薄くなります。
忍性の場合は、文殊を求める人の前に困苦する人が現れる、という経文が手がかりになります。北山十八間戸の戸口や極楽寺の薬鉢を知った後でこのくだりを読み返すと、供養という言葉に、誰かを迎える場所や、日々を支える行いも重なってきます。
よくある質問
行基と忍性は同じ時代の僧ですか?
行基は奈良時代、忍性は鎌倉時代の僧です。ともに人々の暮らしに関わる活動で知られますが、同じ人物でも、同じ時代の仲間でもありません。
北山十八間戸は、忍性の時代の建物ですか?
奈良市の説明によると、現在の建物は1693年の再建です。中世に始まった施設の歴史と、今残る建物が造られた年代を分けて見ます。