孔雀明王とは?鳥の姿から、守護と慈しみの経文へ

大きく羽を広げた孔雀。その背の蓮華に、腕が四本ある尊が坐っている。孔雀明王(くじゃくみょうおう)は、毒や災難からの守護を願う密教の信仰で知られる尊です。

鳥の美しい姿だけでなく、その名を持つ経典にも目を向けると、苦しむ人を助けようとする場面や、龍たちへ慈しみを向ける言葉に出会います。孔雀の絵と古い経文を、行き来してみましょう。

孔雀の上に坐る、四本腕の姿

東京国立博物館の孔雀明王像の解説は、孔雀明王が、息災や増益、雨を願う孔雀経法の本尊として信仰されたことを紹介しています。同館の平安時代の仏画では、右手に蓮華と俱縁果、左手に吉祥果と孔雀の羽を持つ姿が描かれます。

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腕ごとに異なる物を持ち、さらに鳥の上に坐る姿は、私たちの日常の身体とは違います。愛染明王の六本の腕とも、構成が異なります。孔雀明王という名前を確かめたうえで、鳥の羽と、手に持つ羽を見分けると、絵の中のつながりが一つ分かります。

経の出発点は、倒れた一人の僧

『仏母大孔雀明王経』巻上は、莎底という僧が蛇にかまれる場面から始まります。出家してまだ間もなく、戒律を学んでいた僧です。皆のために薪を割り、沐浴の準備をしていると、朽ちた木から黒蛇が現れ、右足の親指をかみます。

毒に苦しんで倒れた姿を見た阿難は、すぐに仏のもとへ行き、どう救えばよいのかと尋ねます。仏は、恐れや災いを除き、人々を覆い育てる陀羅尼として、この教えを説きます。抽象的に災難を数える前に、働く仲間が倒れ、それを見た人が助けを求める場面があるのです。

経の末尾では、教えを受けた阿難が莎底のもとへ戻り、救護すると、苦しみが消えて立ち上がったと語られます。これは経典が伝える宗教的な救いの物語です。読誦で蛇毒が消えるという、今日の医学的な説明にはできません。それでも、痛む人のそばへ戻る阿難の姿は、この長い経の始めと終わりを結んでいます。

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龍にも慈しみを向ける

守護の経と聞くと、危険な存在をすべて遠ざける言葉が並ぶと思うかもしれません。巻上で仏が龍王の名を挙げる場面では、繰り返し、自分はその龍へ慈しみを起こす、と述べます。地上にいるもの、空にいるもの、水に住むものへと、呼びかけが広がっていきます。

足のないもの、二本足、四本足、多くの足があるものについても、互いに害さず、慈しみを持つことが願われます。自分が傷つけられないようにという願いと、相手へ向ける慈心が、同じ偈の中にあるのです。

この慈しみは、誰にでも無警戒で近づくという生活の指示ではありません。経の言葉として見ると、守ってほしいと願う時に、恐れる相手を憎むことだけが残らないよう、心の向きも示されています。苦しむ人を救う物語の中に、他の生きものへ害意を向けない言葉が置かれています。

さらに巻下の結びには、貪欲・瞋恚・痴を世間の三毒と呼ぶ偈があります。貪り、怒り、愚かさという心の問題です。冒頭の蛇毒がなかったことになるのではありません。身体を苦しめる毒をめぐる救護の経が、心を曇らせる三毒にも触れながら、皆が安らかであるよう願って閉じられます。

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捕らえられた孔雀王が思い出したこと

この経には、孔雀そのものが主人公になる話もあります。昔、雪山の南に「金曜孔雀王」と呼ばれる鳥の王がいました。朝と夕べに陀羅尼を読誦し、安らかに過ごしていたといいます。

ある時、孔雀王はそのことを忘れ、仲間と林から林へ、山から山へ遊び歩きます。貪りにとらわれ、放逸になったところを、猟師の仕掛けたわなで捕らえられます。そこで本来の正念を思い出し、陀羅尼を誦えると縛りが解け、仲間とともに元の場所へ帰った、と物語は続きます。

仏は、この昔の孔雀王こそ自分であった、と阿難に告げます。美しい鳥をただ飾りとして登場させた話ではなく、仏自身の過去を語る物語になっているのです。夢中になって教えを忘れる場面と、捕らえられて思い出す場面。その対比からは、何を心に保って暮らすのかという問いも読み取れます。

孔雀明王の経を読む時は、この鳥王の物語と、最初と最後の莎底の救護を分けて追えます。途中に置かれた過去の物語が、現在の説法を支える構成です。一つのあらすじにまとめてしまうより、誰が、誰に向けて語っているのかを確かめると、経の流れがつかめます。

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顔と腕の数は、一つの形に決まらない

京都国立博物館が紹介する仁和寺の孔雀明王像は、中国の北宋時代に描かれた仏画です。こちらは三面六臂。正面は慈悲相ですが、左右の顔は対照的に厳しい表情をしています。

「孔雀明王は、いつでも一つの優しい顔」と覚えてしまうと、この作品に出会った時に迷います。同じ尊の名の下にも、伝えられた形の違いがあります。顔の表情だけで慈悲があるかないかを判断せず、作品の来歴や経の言葉を合わせて読みたいところです。

鬼子母神の物語にも、危害をやめ、守護する側へ変わる筋があります。孔雀明王の経では、苦しむ一人への救護から、龍や多くの生きものへの慈念へと視野が広がります。孔雀の羽を見たことをきっかけに、その守護が誰に向けられているのかまでたどれます。

よくある質問

孔雀明王は、必ず一つの顔と四本の腕を持ちますか?

その姿が多く見られますが、一様ではありません。仁和寺に伝わる北宋の孔雀明王像には三つの顔と六本の腕があり、左右の顔は穏やかな正面と異なる表情です。作品名と来歴を合わせて読みます。

孔雀明王経を読めば、毒や病気が治りますか?

経典は、苦しむ人への救護を宗教的な物語と祈りによって説いています。読誦を医学的な治療の代わりにはできません。身体の毒や病気と、貪り・怒り・愚かさを表す三毒の教えも、区別して読みます。

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