鬼子母神とは?子を守る尊になった物語を読む
子どもの健やかな成長を願って訪ねるお堂に、「鬼子母神」と書かれている。子どもを守る神さまなのに、どうして鬼の字があるのだろう、と不思議に感じることがあります。
鬼子母神(きしもじん)は、人の子を奪っていた夜叉が、仏の教えを受けて守護する側へと変わる物語を持つ尊です。その話は、相手の悲しみに気づく場面だけで終わりません。何をやめ、どのように暮らし、誰を守るのかまでが語られています。
愛する一人を見失って
古い律の文献『根本説一切有部毘奈耶雑事』巻三十一に、訶利底(かりてい)という夜叉の話があります。人に見えない力を持つ存在が登場する、仏教の説話です。この文献では、彼女には五百人の子がおり、末の子は「愛児」と呼ばれています。
訶利底は、自分の子を大切にする一方で、王舎城の人々の子をさらって食べていました。弟も夫も、その行いをやめるように言いますが、聞き入れません。人々が仏に助けを求めると、仏は彼女の留守中に家を訪れ、愛児を鉢で覆って見えなくします。
帰宅した訶利底は、愛児がいないことに気づいて探し回ります。町の通りや園林から、山々、四方の世界、天の宮殿まで。物語は探す場所を次々と重ね、どれほど遠くへ行っても会えない苦しみを描きます。
やがて仏のもとへ戻ると、五百人のうち一人を見失っただけでもそれほど苦しいのに、子を奪われたほかの人はどうなのか、と問われます。彼女は、その人々の苦しみは自分以上だと答えます。自分の家族だけに向いていた思いが、初めて被害を受けた人へ向かう場面です。
気づいた後に求められたこと
仏は、訶利底に戒を受け、王舎城の人々へ「無畏」を施すように説きます。無畏とは、恐れがないことです。ここでは、彼女自身がもう危害を加えず、人々が脅かされずに暮らせるようにする約束として読めます。その申し出を受けて、愛児は再び彼女の前に現れます。
本文は、彼女が三帰依と五つの学処を受けた、と続けます。仏・法・僧をよりどころとし、殺生を離れることなどを学び守っていくのです。悲しみを味わったから自動的に善い存在になる、という筋ではありません。教えを受け、自分の行いを変える段階があります。
この場面で要求されているのは、被害を受けた人々の側が早く許すことではありません。危害を加えた訶利底が、自分の行いをやめることです。古い物語を読む時にも、誰が何を引き受けたのかをたどると、改心という言葉の中身がはっきりします。
食べる道を整え、守る役を引き受ける
戒を受けた訶利底は、自分と子どもたちはこれから何を食べればよいのか、と仏に尋ねます。仏は、弟子たちが食事の際に食物を取り分け、彼女と子らに供えることを説きます。害をやめなさいという言葉の後に、食べていく道が示されます。
同時に、訶利底と子らには、僧や尼僧の住む寺院を昼夜守り、安らかに暮らせるようにする役が託されます。受け取るだけでなく、守護する側として仏教の営みに加わる。供食と守護の両方を読むと、鬼子母神が寺院に祀られる意味が分かります。
寺院の食に関わる尊としては、厨房や倉を守る大黒天の記録もあります。ただし、二つの尊の由来は同じではありません。鬼子母神の説話には、子を奪う行いをやめた後、母子の食を支え、寺院を守る関係を結ぶという筋があるのです。
『法華経』では、経を受け持つ人を守る
鬼子母神は、『法華経』陀羅尼品第二十六にも登場します。ここでは、十人の羅刹女とともに、子や眷属を連れて仏の前に進み、経を読み誦え、受け持つ人を守りたいと申し出ます。
この品では、薬王菩薩、勇施菩薩、毘沙門天王、持国天王なども、相次いで守護を誓っています。鬼子母神だけが突然現れるのではなく、教えを伝える人を支えようとする声の連なりの中に置かれています。
冒頭で仏が語るのは、短い偈であっても受け持ち、読み、意味を理解し、説かれたように修行することです。経を受け持つ人への守護が、読むこと、意味を理解すること、教えに従って修行することと共に語られています。
したがって、この品は子育ての説話をそのまま繰り返したものではありません。子を失う苦しみに気づく物語と、法華経を受持する人への守護の誓い。それぞれの文献を読むことで、同じ尊への信仰に複数の入口があると見えてきます。
雑司ヶ谷のお堂に受け継がれる名前
東京の法明寺は、鬼子母神を法華経の守護神として紹介し、雑司ヶ谷では子育てや安産を願う信仰が受け継がれています。同寺が正式に用いる「鬼」の字は、上の角にあたる画がありません。公式サイトでは、書体の都合で通常の「鬼」を使う箇所もあると断っています。
名前の一字を知ってからお堂の案内を読むと、怖い鬼がいるという第一印象だけでは収まらなくなります。子を守る願いと仏法を守る誓いが、その場所でどう伝えられているのかを尋ねることもできます。地蔵盆で子どもたちの成長を願う営みとも、尊や由来を区別しながら出会えます。
この物語を子どもと話すなら、怖い場面を使って言うことを聞かせるより、大人自身も人を傷つける行いを改める必要がある話として受け取れます。自分の子が大切なら、ほかの家の子も大切である。その先に、実際に危害をやめ、暮らしを支え、守る役を引き受ける場面まで読み進めたい物語です。
よくある質問
鬼子母神には五百人の子がいたのですか、千人ですか?
伝え方によって異なります。この記事で読む『根本説一切有部毘奈耶雑事』巻三十一では五百人です。法明寺の紹介は千人と伝えています。一つの数字に直してしまわず、どの資料の物語かを確かめます。
鬼子母神は、子育てだけを守る神さまですか?
子育てや安産を願う信仰に加え、仏教を守護する尊として祀られます。『法華経』陀羅尼品では、十羅刹女たちとともに、経を受け持ち読み誦える人を守ると誓います。