蓮如の御文に触れる、人々へ向けられた信心の問い

「そもそも」で始まり、「あなかしこ、あなかしこ」で結ばれる。法要で聞く御文には、話しかける調子が残っています。白骨の御文章で蓮如の名を知った人も、別の一通を開くと、雪の中を訪ねる人や、酒食を囲んで集まる人に出会います。

蓮如(れんにょ、1415〜1499)は、本願寺第八代の僧です。人々へ送られた御文には、教えを伝えるとともに、集まった一人ひとりが何を受け取ったのかを問う言葉があります。

吉崎で教えを伝えた、室町時代の蓮如

東本願寺の御影道中展の説明によると、蓮如は1471年、越前の吉崎に教化の拠点を設け、1475年まで滞在して御文による教化を行いました。吉崎という場所は、後に読む手紙の中にも現れます。

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親鸞の教えを、離れた土地の人にも届ける。その営みに使われた文章が、御文、また御文章と呼ばれます。白骨の御文章は、その中の一通です。葬儀で聞く言葉から少し範囲を広げると、日々の信仰のあり方を扱う文章が見つかります。

一人に届いた文章が、集まる人の耳へ届く

吉崎御坊・蓮如上人記念館の解説は、御文が御坊や道場で、集まった門徒に向けて読み上げられたと説明しています。地域で教えを聞き、信心を語り合う「講」でも、御文が読まれました。

手紙という形でも、受取人が一人で読み終えてしまうとは限りません。声に出されることで、その場にいる人にも同じ言葉が届きます。受け取る人、読む人、聞く人がつながる文章だったことを、覚えておけます。

後に八十通を選び、五冊にまとめたものが『五帖御文』です。「一帖目第五通」「四帖目第十二通」のような表示は、どの文章かを探す手がかりになります。集成の中の順序と、それぞれに残された日付を見ながら読めます。

雪の道を来た人に、何を尋ねたのか

一帖目第五通は、加賀・能登・越中から、出家者も在家の男女も吉崎へ集まってくる様子から始まります。雪の中、遠路を越えて参詣する。その志を見ながら、蓮如は、どのような心で来たのかを問いかけています。

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長い距離を歩いたことを、そのまま信心の証明として数える文章にはなっていません。続いて説かれるのは、他力の信心を聞き、その上で仏恩に報いる念仏を申すことです。参詣の苦労と、何をよりどころとして生きるのかという問いが、文章の中で区別されています。

ここでの他力は、阿弥陀仏のはたらきに関わる言葉です。蓮如の御文では、往生のよりどころと、救いへの報恩が繰り返し説かれます。本願力による回向という方向を知ると、苦労の量を仏に差し出して、往生と交換する話として読まずに済みます。

この一通の末尾は、信心の喜びから、師匠のいる所へ足を運び、志を表すことへ続きます。聞いた後の参詣にも意味があります。初めの問いと結びを並べると、同じ「訪ねる」という行動でも、何を聞き受けた上で向かうのかが問われていると分かります。

月二回集まっても、疑問を話さず帰るなら

四帖目第十二通は、「毎月両度の寄合」は何のためか、と始まります。ところが、蓮如が目を向ける集まりでは、酒や食事や茶で終わり、信心のことを語らず帰ってしまう。そのあり方を、厳しく問う一通です。

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その批判を、寺の集まりでは飲食してはいけないという一律の決まりにすると、次の呼びかけが見えにくくなります。本文は「一段の不審をもたてて」と続きます。分からないところを問いにして、信心について確かめることが勧められているのです。

周囲がうなずいていると、意味をつかめない言葉があっても、尋ねずに帰りたくなることがあります。「不審をたてる」と読めば、その分からなさも、教えを共に聞く場へ持ち出せます。本文に出てきた「帰命とは、どういう意味でしょうか」のように、一語から質問することもできます。

もっとも、この一通は、話し合いの方法だけを説いて終わりません。阿弥陀如来に帰命し、後生の救いをたのむことが続きます。そして、毎月の集まりを「報恩謝徳」のためと心得る、という結びへ進みます。疑問を語り合うことも、阿弥陀仏の教えを聞くという目的につながっています。

末尾にある宛先は「毎月両度講衆中へ」。日付は明応七年、1498年の二月二十五日です。抽象的な理想の集団に向けた標語ではなく、実際に集まりを重ねる人々に届く文章として、この問いは書かれています。

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「のちの年に取り出して」と残された言葉

一帖目第六通には、命のあるうちに不審を晴らすよう願う言葉に続いて、「のちの年にとりいだして御覧候え」とあります。その時だけ聞いて終わるのでなく、後の年にも取り出して読んでほしい、という書き添えです。

以前は聞き流した一語が、年月を経て気になることもあるでしょう。読み直し、分からないところを尋ね、また本文へ戻る。御文には、そうして聞き続ける人への呼びかけが残っています。蓮如を知るための一通を選ぶなら、よく知る名句に加えて、日付と宛先のある文章も開いてみてください。

よくある質問

御文は、お釈迦さまが説いたお経ですか?

蓮如が真宗の教えを伝えるために書いた文章で、御文章とも呼ばれます。釈尊の説法を伝える経典とは成立が異なります。日付や宛先が記され、その場の人々への呼びかけが残る一通もあります。

真宗の集まりは、今も必ず月二回ですか?

「毎月両度」は、その集まりに宛てられた御文の言葉です。この一通だけで現在の全寺院の日程を決めることはできません。参加する法座や講の日程は、各寺院や主催者の案内で確かめられます。

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