日光遍照菩薩とは?東方三聖と「心の光」を呼び覚ます智慧

カテゴリ: 仏教人物
タグ: 東方三聖

東方三聖シリーズ

「電池切れ」のような瞬間

お腹が空いているわけでも、病気でもない。でも、なんとも言えない「グレー」な感覚。スマートフォンの残量が5%になったように、何もしたくないのに、そんな自分に焦りを感じてしまう。

仏法では、この感覚の本質を「無明」と呼びます。あなたの中に光がないのではなく、光が何かに遮られているのです。

日光菩薩の存在は、新しい電池をくれるためではありません。あなたの電池はずっと満タンだった、と気づかせてくれるためなのです。

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日光菩薩とは

東方浄瑠璃世界で、薬師如来の両側にそれぞれ一人の大菩薩が立っています。右側が日光遍照菩薩、左側が月光遍照菩薩。三人を合わせて「東方三聖」と呼び、西方極楽世界の阿弥陀仏、観世音菩薩、大勢至菩薩と対をなしています。

「日光遍照」という名号、サンスクリット語では Sūryaprabha、「太陽の輝き」という意味です。薬師仏があらゆる身心の病を治す大医王だとすれば、日光菩薩はその頼れる助手です。「照らす」ことを専門とし、病の根を隠れ場所のないものにします。

月光菩薩は別の種類のエネルギーを表しています。柔らかく、涼やかで、なだめるような力。陽と陰、剛と柔。薬師仏が救おうとする衆生は千差万別で、目を覚まさせる強い光が必要な人もいれば、優しく寄り添う光が必要な人もいます。日光と月光は、まさにこの二つのニーズに応えているのです。

なぜ「遍照」なのか

「遍」という字がとても大切です。

太陽は大地を照らすとき、あなたが金持ちだから多く照らす、貧乏だから少なく照らす、ということはしません。対象を選ばず、条件をつけない。これは分け隔てのない光明です。

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でも物理的な太陽には限界があります。夜には沈み、雲に遮られ、屋根の下には届きません。日光菩薩の「遍照」にはこうした制限がないのです。経典によれば、その光明はあらゆる場所に届きます。最も深い地獄、最も暗い隅にも。

これは何を意味するのでしょうか。たとえあなたが人生のどん底に落ちたと感じていても、誰も理解してくれない、誰も気にかけてくれないと感じていても、この光はそこまで届くということです。

あなたは忘れられていません。見捨てられてはいないのです。

光が来れば、闇は自然と消える

仏法の煩悩への対処法はとても興味深いものです。

真っ暗な部屋にいるところを想像してください。箒で闇を「掃き出す」必要はありません。拳で闇と「戦う」必要もありません。ただ、明かりをつければいいのです。

明かりがつけば、闇は消えます。消滅させられたのではなく、もともと存在しなかったのです。闇とは光の不在に過ぎず、実体がないので、対抗する必要がありません。

これが仏法でいう「明をもって暗を破る」ということ。私たちの心の中の煩悩、恐れ、迷いも同じ道理です。それらと格闘する必要も、抑え込む必要もない。気づきの光が差し込めば、自然と消えていくのです。

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日光菩薩の加持は、私たちの心の中であの明かりをつけること。

『薬師経』には、薬師仏の名号を受持する人のもとに、日光菩薩と月光菩薩が無量の神々と共に護りに来て、「一切の怖畏、皆解脱を得る」とあります。最も恐れている時に、一筋の光が来てくれるのです。

日光と月光:必要なのは一種類のエネルギーだけではない

なぜ東方三聖には日と月、二人の菩薩が必要なのでしょうか。

人間は一つのリズムだけでは生きられないからです。

日光が表すエネルギーは、進取、明晰、精進。真昼の烈日のように、あらゆる陰りを隠れ場所のないものにし、人を覚醒させ行動力を与えます。

月光が表すエネルギーは、休息、柔和、受容。深夜の月明かりのように、疲れた心を休ませ、張り詰めた神経をほぐしてくれます。

現代人によく見られる問題は、過度に興奮して燃え尽きるか(バーンアウト)、過度に脱力して何もしたくなくなるか。この二つの極端は、どちらも日月のバランスが崩れた状態なのです。

修行の智慧とは、永遠に太陽でいることでも、永遠に月でいることでもありません。進むべき時に進み、休むべき時に休む。それを学ぶこと。日光菩薩と月光菩薩が薬師仏の両側に並び立つのは、まさにこの道理を示しているのです。

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あなたの心の太陽は、消えてはいない

仏法には核心となる観点があります。衆生には皆、仏性がある

この仏性は、一輪の太陽のようなもの。本来、光明遍照であり、本来、あらゆる智慧と慈悲を備えています。私たちが暗さを感じ、迷いを感じ、苦しみを感じるのは、太陽が消えたからではなく、雲に遮られているからです。

その雲とは、私たちの貪り、怒り、愚かさ。私たちの妄想と執着です。

日光菩薩の意義は、光明を「与える」ことではなく、「気づかせる」ことです。あなたには本来、光明があるのだと。その光は、あなたの内にある本来の光を引き出すきっかけなのです。

外の日光と内の日光が呼応し合うとき、それが本当の「日光遍照」。

今度、力が出ない、迷っていると感じた時、目を閉じて想像してみてください。雲の上に、一輪の太陽がずっと高く掛かっていることを。風が雲を吹き散らし、雲もやがて自然と流れていく。そしてあの太陽は、ずっとそこにあるのです。

南無日光遍照菩薩。

公開日: 2025-12-08最終更新: 2026-01-01
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