法句経とダンマパダは同じ?短い偈を読むための案内

『法句経』を読もうと本を探すと、『ダンマパダ』という題名も出てきます。同じ本なのかと思って目次を見ると、章の名前や数が違い、どちらを開けばよいか迷うことがあります。

日本語では、パーリ語の『ダンマパダ』も『法句経』と呼ばれます。一方、漢訳仏典には、それと章立ての異なる『法句経』があります。短い教えを集めた経典を探すときは、題名と一緒に、何語のどの本文を訳した本かを見ると、読みたい一節へ近づけます。

二十六章の本と、三十九品の本

パーリ語の『ダンマパダ』は、二十六章、四百二十三の偈から成ります。偈(げ)は、教えを韻文にまとめたものです。長い物語を最初から最後までたどる経典とは違い、短い偈が主題ごとに集められています。漢訳の『法句経』は上下二巻で、三十九品に分かれます。最初は「無常品」で、九番目に「双要品」があります。これに対して、パーリ語本は、対になった偈を集める「双の章」から始まります。目次を開くだけでも、同じ順序の本を別の言葉にしただけではないと分かります。

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どちらかを読んでから、もう一方の同じ番号を探しても、期待した偈が出てこないことがあります。そんなときは、番号に加えて、覚えている語や譬えを手がかりにできます。「牛の譬え」「心についての対句」といった内容も、一節の場所をたどる助けになります。

偈の前にある物語は、どこから来たのか

解説書では、短い偈の前に、僧侶や在家の人が登場する話が添えられていることがあります。その物語も含めて、一つの偈の本文なのだろうか。ここは、読書の途中で確かめたい点です。

香月拓氏の『ダンマパダ』注釈書の研究は、注釈書が、偈の説かれる因縁物語や語句の説明を含むことを示しています。また、パーリ語の注釈と漢訳の『法句譬喩経』では、対応する偈があっても、添えられた物語まで同じとは限らないと論じています。

本を読むときには、「偈の訳」「古い注釈の物語」「現代の著者の解説」という層を見分けます。物語があると人の姿を思い浮かべやすくなりますが、その印象だけで、偈に書かれている語を読み飛ばすこともあります。どの部分を読んでいるのかを知ると、短い本文へ戻る道が残ります。

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第十九偈の牛、その次に語られる実践

パーリ語本の第一章の終わり、第十九偈は、多くの教えを口にしても、それに沿って行わず怠っている人を、他人の牛を数える牛飼いにたとえます。数を知っていることと、沙門としての実を得ることが、分けて語られています。

この譬えだけを覚えると、「本を読む量は少ない方がよい」という話にも聞こえそうです。続く第二十偈では、少ししか口にしなくても、法に沿って行う者が語られます。そこには、貪り・怒り・迷いを捨てること、正しく知り、心が解放され、執着しないことが続きます。

焦点は、読む量を減らす競争にはありません。学んだ法を行うことが、苦からの解放へ向かっているかという問いです。少なく読む側にも、修行の内容がはっきり示されています。二つを続けて読むと、「読んでいないから自分は実践派だ」と済ませる余地もなくなります。

漢訳の「双要品」の末尾にも、戒を守らず欲や怒り、迷いを抱くあり方と、法に沿って道を行うあり方が対照されます。同じ番号の句を機械的に並べるより、何が対にされているかを読むと、二つの伝承の言葉を比較する入口になります。

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短い一節を、暮らしに引き寄せて読むなら

たとえば、言葉を慎む教えを読んだ日に、職場で同僚の失敗を聞いたとします。教えを思い出した後、その話を広めるのか、確かめる必要がある点を本人に尋ねるのか。引用できることの先に、自分が選ぶ行為があります。これは経の登場人物の話ではなく、読んだ教えを考えるための日常の例です。

一度うまく振る舞えたとしても、それだけで経がいう解脱に達したと判断することはできません。目の前の小さな実行と、仏道が目指すところを、両方残して読めます。七仏通戒偈にも、悪を避け、善を行い、自分の心を浄めるという、行為と心のつながりがあります。

日本でも、在家の読者が『ダンマパダ』を学ぶ講座や本が作られてきました。本願寺派総合研究所の釈徹宗氏の著書を紹介する書評は、寺院で行われた講座をもとに、在家の立場から読む試みを紹介しています。古い修行の言葉と現在の暮らしの間を、解説者とともに考える読み方もあります。

好きになった言葉には、戻れる場所を添える

心に残った一節を書き留めるなら、訳者名とページ、分かれば章と偈番号も一緒に残します。ネットで見つけた短文の場合は、出典が示されているかを見ます。似た日本語が見つかっても、別の訳者の表現や、現代の要約かもしれません。

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一つの文を人に紹介するときも、経文の訳を引用するのか、自分の言葉で意味を説明するのかを分けられます。「私はこう読んだ」と書けば、原文を知らない相手にも、それが自分の受け取り方だと伝わります。確かめられない言葉に、仏の名を急いで添えることはないでしょう。

読むための経典の選び方を考える際も、本文と解説の区別が役立ちます。『法句経』という表紙の先に、どの本文があり、誰がどう訳したのか。そこが分かると、気に入った一偈の次に、もう一偈を読めます。

よくある質問

法句経は、どの本でも同じ章立てですか?

パーリ語のダンマパダは26章423偈で、漢訳の法句経は39品に分かれます。日本語の本ではダンマパダを法句経と呼ぶこともあるので、題名に加えて、訳者の説明や目次から底本を確かめられます。

「ブッダの名言」と書かれていれば、法句経の言葉ですか?

その表示だけでは出典を特定できません。経典名、偈の番号、訳者名などを手がかりにします。現代の解説者が意味をまとめた言葉なら、経文そのものの引用と分けて読めます。

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