消災呪(しょうさいしゅ)とは?禅宗で毎朝唱えられる災難除けの陀羅尼
最近、何をやっても裏目に出る。
仕事でミスが重なる。人間関係がぎくしゃくする。体調も妙にすっきりしない。占いを見れば「厄年」と書いてある。別に信じているわけではないけれど、「ああ、やっぱりか」と思ってしまう。
禅宗の寺院では、そうした「災い」に向き合うための陀羅尼が、毎朝のお勤めに含まれています。消災呪(しょうさいしゅ)です。正式名称を消災妙吉祥陀羅尼(しょうさいみょうきちじょうだらに)といい、曹洞宗でも臨済宗でも、朝課の中で毎日唱えられています。
禅宗の朝課に千年以上組み込まれてきたお経
消災呪の出典は『仏説熾盛光大威徳消災吉祥陀羅尼経(ぶっせつしじょうこうだいいとくしょうさいきちじょうだらにきょう)』です。8世紀に不空三蔵(ふくうさんぞう)がサンスクリット語から漢訳しました。
経典によると、お釈迦様が浄居天宮(じょうごてんぐう)で神々や聖者を前に説いたとされています。当時、星の運行が乱れ、天象に異変が起こり、それに伴う災厄が世の中に広がっていました。この災いを除くために、お釈迦様がこの陀羅尼を説いたのです。
経題に含まれる「熾盛光(しじょうこう)」という言葉は、「きわめて強い光」の意味です。どんな暗闇も照らし破るほど猛烈な光、というイメージがこの陀羅尼には込められています。
日本の禅宗がこの陀羅尼を朝課に組み入れたのは、毎日を「災いのない清々しい一日」として始めるためだと考えられています。曹洞宗の寺院では韋駄天(いだてん)様に向けて火災除けとして唱えることもありますし、「転読大般若」などの行事でも読まれます。臨済宗では法要の際に三回繰り返して唱えるのが通例です。
消災呪の全文
以下が消災呪の全文です。日本の寺院で用いられている読み方を添えました。
曩謨三滿哆 母馱喃 阿鉢囉底賀多舍 娑曩喃 怛姪他 唵 佉佉 佉呬佉呬 吽吽 入嚩囉入嚩囉 鉢囉入嚩囉鉢囉入嚩囉 底瑟姹底瑟姹 瑟致哩瑟致哩 娑癹吒娑癹吒 扇底迦 室哩曳 娑嚩訶(のーもー さんまんだー もとなん おはらちー ことしゃー そのなん とうじーとー えん ぎゃーぎゃー ぎゃーきーぎゃーきー うんぬん しふらーしふらー はらしふらーはらしふらー ちしゅさーちしゅさー ちしゅりーちしゅりー そわじゃーそわじゃー せんちーぎゃー しりえー そーもーこー)
一つ一つの意味を知っている必要はありません。ただ、全体の流れだけ触れておくと、冒頭の「曩謨三滿哆 母馱喃」は「あらゆる仏様に帰依いたします」という意味の帰依の表明です。中盤は仏の光明によって災障を焼き尽くす力を呼び起こす音声。末尾の「扇底迦」はサンスクリット語で「息災」、「室哩曳」は「吉祥」、「娑嚩訶」は「円満成就」を意味します。
帰依に始まり、浄化を経て、吉祥に至る。一遍唱えるのに二十秒ほどで、短いお経です。
消災呪は何を「消す」のか
経典が想定している「災い」は、主に星の運行の異変がもたらす天災や人災です。8世紀の人々にとって、星の動きは人の吉凶と直結していました。星宿の変怪が国に不幸をもたらすと信じられていた時代に、この陀羅尼はその不幸を打ち消すために説かれたのです。
現代に生きる私たちは、星の運行をそこまで気にしません。でも、「何をやってもうまくいかない時期」というものは誰にでもあります。仕事で失敗が続く、体調が安定しない、人間関係のトラブルが重なる。原因がはっきりしない。ただ「ついていない」としか言いようがない。
日本には昔から「厄年」という考え方があります。男性は数え年で25歳、42歳、61歳。女性は19歳、33歳、37歳。厄年には神社でお祓いをする方も多いでしょう。消災呪は、仏教からのアプローチで同じ悩みに応えるものです。
経典には、この陀羅尼を唱えることで「八万種の吉祥事を成就し、八万種の不吉祥事を滅除する」と記されています。「八万」は具体的な数字ではなく、「あらゆる」という意味の仏教的な表現です。つまり、どんな種類の不運であれ、この陀羅尼で対応できるとされています。
ただ、経典は同時に大切なことも述べています。あらゆる災難は、悪業と煩悩から生じるのだと。外側の不運と、内側の心は連動しています。消災呪が「消す」のは、外側の災厄だけではありません。災厄に振り回される自分の心の混乱も、同時に静めていくのです。
これは業力と運命の考え方とも通じます。因果の法則から逃れることはできませんが、心を整えることで、逆境との向き合い方は変わります。
消災呪の唱え方
禅宗のお寺では、朝課の一部として毎日唱えられています。臨済宗では三回繰り返して唱えるのが通例です。個人で唱える場合も、三回を一区切りにするのが基本です。
毎日の習慣として取り入れるなら、朝のお勤めの中で三回唱えるだけで十分です。一分もかかりません。特別な準備も要りません。仏壇の前で合掌して三回唱える。それだけで「今日も穏やかに過ごせますように」という祈りになります。
不調が続いている時期や、厄年に当たる年には、集中して唱える方もいます。108遍を一つの区切りとし、数珠で数えながら唱えます。所要時間は三十分から四十分ほど。経典には「百八遍を唱えれば災難は除かれ、吉祥が訪れる」と記されています。
もう一つ、もっと本格的なやり方として、清浄な場所で一日から七日間、集中して唱え続けるという修法があります。これは寺院で行われるご祈祷に近い形です。
回向も合わせると、功徳の方向づけがより明確になります。唱え終わった後、心の中で「この功徳をもって、一切の災難が消え、平穏が訪れますように」と念じます。
唱える時に最も大切なのは、「至心(ししん)」です。心からの思いを込めて唱えること。経典は繰り返しこの「至心受持読誦(ししんじゅじどくじゅ)」の重要性を説いています。声に出してお経を読む時、口だけが動いて心が別のところにあるのでは、ただの音読になってしまいます。心が言葉に乗っている時、はじめてお経は生きたものになります。
厄除け神社に行くのも一つの方法です。お守りを買うのも悪くありません。
でも禅宗が千年以上も毎朝この陀羅尼を唱え続けてきたのは、外の災いを打ち消すためだけではなかったのかもしれません。災いが来ても動じない心を、日々の読経の中で少しずつ育てていく。消災呪が本当に「消している」のは、災い以上に、災いへの恐れなのかもしれません。