華厳経は何を説いているのか?「一即一切」の世界観
『華厳経』、正式には『大方広仏華厳経』は、大乗仏教の中で最も壮大な経典の一つです。
日本では奈良時代に伝わり、華厳宗が成立しました。奈良・東大寺はこの華厳宗の総本山です。東大寺の大仏、正式には「毘盧遮那仏」は、まさに『華厳経』の教主です。かの有名な「奈良の大仏」は、『華厳経』の世界観を形にしたものと言えます。
この経典はどれほど長いのでしょうか。八十巻本で約百万字にも及びます。そして描かれる世界は、多くの菩薩でさえ理解できなかったほど深遠だと伝えられています。仏教史には、釈迦が悟りを開いた直後に最初に説いたのが『華厳経』だったという伝承があります。しかし内容があまりに深かったため、聞いていた者たちは何も理解できず、そこで釈迦はより平易な教えから説き始めたというのです。
この経典の核心を表す言葉があります。「一即一切、一切即一」。
「一即一切」とはどういう意味か
この言葉は抽象的に聞こえますが、一つのイメージを使えば分かりやすくなります。一滴の水の中に大海全体がある。一粒の砂の中に全世界がある。
どんなものであれ、その中に宇宙全体の情報が含まれています。そして宇宙全体の情報もまた、どんなものの中にも現れています。部分と全体は別々のものではなく、互いに含み合っているのです。
この見方は、私たちの日常感覚とは大きく異なります。普段、私たちはものごとを分けて考えます。これは「一」、あれは「多」。これは「部分」、あれは「全体」。これは「私」、あれは「世界」。しかし『華厳経』は言います。その区別は表面的なものに過ぎず、より深いところでは万物はつながっており、本当の境界などないのだと。
インドラの網という譬喩
『華厳経』にはこの世界観を説明する有名な譬喩があります。「因陀羅網」、日本語では「帝釈天の網」「インドラの網」とも呼ばれます。
帝釈天(インドラ)の宮殿には、限りなく広がる網が張られているといいます。その網の結び目一つ一つに、透き通った宝珠がついています。そして一つ一つの宝珠が、他のすべての宝珠を映し出しています。映し出された宝珠の中にも、またすべての宝珠が映っている。この映し合いは無限に重なり、終わりがありません。
この譬喩が伝えているのは、宇宙の万物はこの網の宝珠のように互いを映し合い、含み合っているということです。あなたの中に私があり、私の中にあなたがある。一点の変化が網全体に響き、網全体の状態がまた一点に現れる。
華厳宗はこれを法界縁起と呼びます。法界とは存在のすべて、縁起とは互いに依存し影響し合うこと。万物は孤立しているのではなく、巨大な関係のネットワークの中で互いに成り立っているのです。
さらに華厳宗は事事無礙という考え方を示します。「事」とは具体的な物事や現象のこと。事事無礙とは、どんな二つのものの間にも障りがなく、互いに入り込み、含み合えるということ。インドラの網の宝珠のように。
善財童子の求道の旅
『華厳経』の最後を飾る「入法界品」には、有名な物語があります。善財童子の五十三参です。
善財という若者が道を求めて旅立ち、五十三人の善知識(師)を訪ね歩きます。その師たちは実にさまざまな人々でした。比丘もいれば比丘尼もいる。王もいれば大臣もいる。医者もいれば船長もいる。中には遊女や子どもさえいました。
それぞれの師が何かを教えてくれました。そして言います。私が知っているのはここまでです。次の師を訪ねなさい、と。善財はそうして一人一人を訪ね歩き、最後に普賢菩薩の前にたどり着きます。普賢菩薩は善財に十の大願を授けました。これが有名な「普賢行願品」であり、華厳の教えの中で最もよく読まれる部分です。
この物語が伝えているのは、覚りは特定の身分や場所に限られないということです。あなたの師は出家者かもしれないし、普通の人かもしれない。お寺にいるかもしれないし、街中にいるかもしれない。どこでも、誰からでも学べる。大切なのは、学ぼうとする心があるかどうかです。
これは「一即一切」と呼応しています。真理はどこか特定の場所にあるのではなく、あらゆるところに遍満しているのです。
『華厳経』の智慧
「一即一切」は抽象的な言葉ですが、日常の見方を変えてくれる力があります。
私たちはつい、ものごとを分けて考えます。これは「自分のこと」、あれは「他人のこと」。これは「大事なこと」、あれは「些細なこと」。しかし『華厳経』は示唆します。万物はつながっている。あなたがすることは全体に影響を与え、全体もまたあなたを通じて現れている。小さな善い行いは、インドラの網に波紋が広がるように、思わぬところまで届いていく。
この視点は縁起の智慧と通じています。『金剛経』は執着を手放すことを、『法華経』は信心を確立することを教えてくれます。『華厳経』は、さらに壮大な景色を見せてくれます。私たちは互いに映し合う世界に生きている。一人一人が、この大きな網の上の一つの宝珠なのです。
よくある質問
『華厳経』と『法華経』は何が違いますか?
『法華経』の核心は「衆生は皆、成仏できる」ということで、修行の目標と自信を与えてくれます。『華厳経』の核心は「一即一切」で、仏が悟った後に見ている世界観を描いています。『法華経』は「あなたは成仏できるか?」という問いに答え、『華厳経』は「成仏したらどんな世界が見えるか?」という問いに答えていると言えます。
なぜ『華厳経』は「経典の海」と呼ばれるのですか?
一つは篇幅の長さです(八十巻本で約百万字)。もう一つは内容の深さと広さで、仏教の宇宙観、修行の階位、菩薩の行願など、あらゆる側面を網羅しています。伝承によると、釈迦は成道後、最初にこの経を説きましたが、境地が高すぎて多くの菩薩さえ理解できなかったと言われています。