開経偈の四句を読む:お経の前に何を願うのか

お経の最初に、「むじょうじんじんみみょうほう」と唱える。その四句が開経偈(かいきょうげ)です。仏の教えに出会えたことを喜び、その真意を理解したいと願う言葉で、これから読むお経に向き合う姿勢を表しています。

四句の中で、視点は少しずつ動きます。まず教えを讃え、出会うことの難しさを述べ、今それを受け取っている自分に目を向け、最後に理解への願いを起こす。短い偈にも、この流れがあります。

四句を声に出して読む

本文と読み方の対照

本文読み方の一例
無上甚深微妙法むじょうじんじんみみょうほう
百千万劫難遭遇ひゃくせんまんごうなんそうぐ
我今見聞得受持がこんけんもんとくじゅじ
願解如来真実義がんげにょらいしんじつぎ
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本文と音読は、曹洞宗・少林寺の開経偈の案内で確かめられます。経本によって「万」が「萬」、「来」が「來」と印刷されていても、この場合は字体の違いです。音の長さや節は、文字の読みと分けて覚えます。

一語ずつ辞書で調べる前に、四行を声に出さず眺めてもよいでしょう。「法」「我今」「願」という言葉を目印にすると、教えへの讃嘆から、自分の願いへ進む文章だと分かります。

「微妙」は、あいまいな評価ではない

第一句の「無上」は、この上ないこと。「甚深」は、非常に深いこと。「微妙」はここでは「みみょう」と読み、精妙で、容易には汲み尽くせない教えを讃えています。最後の「法」が仏の教えを指すので、前の三つの言葉はその法を形容しています。

現代の会話で「微妙ですね」と言うと、肯定しにくいときの表現になります。普段の意味を当てはめると、第一句から戸惑うかもしれません。開経偈では、教えへの深い敬意を表す語です。

読経を始める段階では、まだ本文の内容を十分知らないこともあります。この一句を、じっくり学ぶ価値のある教えとして受け取るための、読み始めの姿勢として味わえます。

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百千万劫という長さと、「今」の出会い

第二句では、教えとの出会いが語られます。「劫」は、仏教で非常に長い時間を表す言葉です。「百千万劫」は、そのような長い時間を経ても、仏の教えに出会うことは容易でないと讃えています。

そして次の行で、急に「我今」となります。長大な時間の話から、今、見聞きしている自分へ。この対照が、二句と三句を結んでいます。曹洞宗の公式英訳でも、出会うことの稀さに続き、今その教えを見聞きし受け持つことが表されています。

本や音声がすぐ手に入ると、教えを読む機会も後回しにしやすくなります。ここで大切にされているのは、情報の少なさそのものより、その教えを自分が受け取る縁です。経本が手元にあることと、その言葉を聞こうとすることには、少し距離があります。

見聞きした教えを「受持」する

第三句の「見聞」は、見たり聞いたりすること。「受持(じゅじ)」は、教えを受け入れ、保ち続けることです。「得」は、それができたという意味で、「我今見聞得受持」は、今こうして教えを受け取れたことを述べています。

読む、聞くという入口の先に、受け持つことが置かれています。一度目を通したら終わりという読み方から、繰り返し教えに触れ、その意味をたずねる読み方へ進んでいく言葉です。

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たとえば、読経中に意味の分からない語が出てきたら、勤行を終えてからその一語を調べる。あるいは、寺院の法話で説明された箇所を手元の経本で開いてみる。受持の意味を日々の学びへ引き寄せるなら、こうした行いが考えられます。読経の意味が気になるときは、理解と声に出すことの関係から考えることもできます。

最後の一句は、理解への願い

「願解如来真実義」は、如来の真実の意味を理解したいという願いです。「如来」は仏を表す呼び名で、「義」はここでは意味・道理のこと。教えを聞く前に、もう理解したと宣言する言葉ではなく、これから理解を深めようとする願いになっています。

この結びを知ると、分からないところがあるまま経本を開くことにも、筋道が見えてきます。まだ知らないからこそ、読む。読んだあとで疑問が残れば、詳しい解説や法話にあたる。その営みが、最後の一句とつながります。

本文の前後を読み、宗派の解説を参照すると、今の自分の解釈を確かめられます。真実義を願う言葉には、その丁寧さも重なります。

経本の最初の四行を、読み飛ばさずに

曹洞宗の経典案内では、開経偈を収めた経本が紹介されています。おつとめの順序は宗派や形式によって異なるため、家庭の経本にないものを一律に付け足す必要はありません。在家の晩課を整えるときも、まず手元の次第を見ます。

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すでに開経偈を唱えているなら、次のおつとめで「我今」の二文字を意識してみてはどうでしょう。長く受け継がれてきた教えを、今ここで読もうとしている。その場面を言葉にしてから、経典の本文が始まります。

よくある質問

開経偈は何と読みますか?

「かいきょうげ」と読みます。お経を読み始める際に、教えに出会えたことを喜び、その意味を理解したいと願う短い偈文です。

開経偈の「微妙」は、普段の「びみょう」と同じ意味ですか?

ここでは「みみょう」と読み、教えが深く精妙であることを讃えます。日常語でいう「評価に困る」「いまひとつ」という意味ではありません。

どのお経の前にも必ず開経偈を唱えますか?

宗派や勤行の次第によります。曹洞宗などの経本に収められていますが、すべての宗派・法要で同じように用いるとは限りません。実際のおつとめでは、その経本の順序に沿います。

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