五体投地とは?五つの場所を地につけ、仏を敬う礼拝

法要で僧侶が立った姿から身を低くし、額を床につけることがあります。お辞儀よりも深く、全身を使うこの礼には、どのような意味があるのでしょうか。

五体投地(ごたいとうち)は、両膝・両肘・額の五か所を地につける礼拝です。日本の寺院でも行われ、仏や祖師を敬う姿を身体で表します。「五体」が何を指すかに加えて、掌の向きや、礼をする心についての古い説明を読むと、動作の奥にある考え方が見えてきます。

五つの場所を地につける「五輪」

唐の僧・道宣がまとめた『釈門帰敬儀』巻下には、礼拝の姿を扱う「威容有儀篇」があります。そこでは「五輪著地」を「五体投地」ともいうとし、二つの肘、二つの膝、頭の頂を五輪と説明しています。輪という名については、五つの場所が丸い形であることを挙げています。

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この書物には、頭を下げることのほか、合掌、仏の周りを巡ること、仏の徳を声でたたえることも記されます。五体投地は、そうしたさまざまな敬礼の中の一つです。深い礼拝の形を知ったからといって、寺院で出会うすべての礼を五体投地に置き換えることにはなりません。道宣は、身体をどう動かすかを記しながら、何を敬い、どのような心で仏前に向かうのかを繰り返し問いかけています。動作の名称を覚えたところから、その礼が向かう相手へと目を移します。

掌を上に向けるのは、仏足をいただく姿

同書は、地に膝と肘をつけ、掌を空へ向ける姿を、足を受ける形として説明しています。礼拝する人が自分の頭を低くし、仏の足を仰ぐ。「頭面礼足」という経典で見かける言葉にも、この関係があります。

頭は自分の身体の高いところ、足は相手の低いところです。道宣は、自分の高いところをもって相手の足を敬うことに、深い敬意を読み取ります。掌の上に仏足をいただくつもりで拝むなら、手を上げる小さな動きも、単なる立ち上がりの準備ではなくなります。

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ただし、この書には、座っている相手の足を無理に引き出し、「いただきたい」とする行為を戒める箇所もあります。形を知っていても、相手を煩わせれば礼の意味から離れてしまうのです。足に触れる形だけを実現しようとするより、何のためにその姿を取るのかが先にあります。

足を通して仏を仰ぐ信仰は、仏足石の礼拝にも見られます。石に刻まれた足跡を拝むことと、掌で仏足をいただく姿を取ることでは、用いる形は違いますが、どちらも足の先に仏を仰いでいます。

「三拝」は、礼をする回数の言葉

曹洞宗の徳本寺の法話「五体投地」は、一連の動作を一拝と数え、基本を三拝と説明しています。五体投地は礼の形、三拝は三度拝むという回数の呼び名です。同寺の説明では、法要の前後などに三拝が行われます。

一方、円覚寺の横田南嶺老師は、2023年の法話で、同寺の布薩で百回の礼拝をしたことを書いています。こうした回数は、その寺の行事や修行の文脈とともに読む必要があります。百回という記述を、そのまま参拝者全員の目標にするものではありません。

初めて法要に参加するなら、「この法要では、参列者も三拝をしますか」と確認できます。僧侶が行う部分と、参列者も一緒に行う部分が分かれば、周囲の動きを見て慌てて追いかけずに済みます。合わせる声や合図があるかも、その場で教わります。

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上下する身体と、恭敬する心

『釈門帰敬儀』は、外から見える礼の形を詳しく記す一方で、心に恭敬がない礼も取り上げています。自分の徳を高く見て、教えを受けようとしないまま上下する姿を、穀物をつく道具の動きにたとえています。

ここで問題にされるのは、礼の最中にも、自分には学ぶ必要がないと思い続けることです。身体を低くしていても、相手の教えを受けるつもりがなければ、外形と心は離れたままです。深く下がれたかだけで礼を評価できない理由が、古い文章の中にあります。

同じ篇の冒頭では、地域によって礼の姿が異なることにも触れ、「以敬為本」と記しています。道宣は、異なる形を見れば何でも同じだと片付けるのではなく、それぞれの作法を学ぶことと、敬うという根本を併せて考えています。

初めて行う前に、身体のことも伝える

床に下りる、膝をつく、再び立つ。その中に難しい動作があれば、始まる前に伝えておけます。形の説明を読んでも、自分の身体にどこまで無理がないかは、文章だけでは決まりません。痛みを我慢して他の人と同じ速さで動くことを、参加の目標にしなくてもよいのです。

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相談するときには、「椅子では座れますが、床から立つのが難しいです」のように、困る動きを具体的に言えます。法事で椅子席をお願いする方法も、その準備に役立ちます。椅子で合掌するなどの参加方法を、当日の進行と合わせて尋ねられます。

作法を教わる機会があれば、どこを地につけるかとともに、その礼が何を表すかも聞いてみます。身体の形を整えることと、仏の教えを受けようとすること。その両方に心を配るところに、五体投地を学ぶ入り口があります。

よくある質問

五体投地と三拝は、同じ意味ですか?

五体投地は礼拝の形を指し、三拝は三度礼拝することを指します。徳本寺の法話では、一連の五体投地を一拝と数え、基本を三拝と説明しています。実際の回数や法要のどこで行うかは、参加先の案内に従います。

膝を地につけられなくても、法要に参加できますか?

五体投地を含むか、椅子に座ったまま合掌できるかなど、申し込み時にお寺へ相談できます。床へ下りることや立ち上がることが難しい場合は、その動作を具体的に伝えると、参加方法を話し合いやすくなります。

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