参同契の「明」と「暗」:違いとつながりをどう読むか

参同契には、「火は熱く、風は動く」「眼には色、耳には音声」といった具体的な言葉が出てきます。そのすぐそばに「明」「暗」「理」「事」が重なり、分かったと思うと、次の句で立ち止まる。短い文章の中に、禅の問いが詰まっています。

参同契(さんどうかい)は、中国・唐代の禅僧、石頭希遷に伝わる偈です。曹洞宗で読まれ、個々の違いと、それらが切り離せないあり方を考える入口になります。ここでは全句の訳よりも、本文を読む際につまずきやすい三つの対を見ていきます。

石頭希遷の言葉を、経本で読む

曹洞宗の原田雪溪による『参同契』の提唱では、石頭希遷の220字の文章として紹介されています。お釈迦さまの説法を直接記録した経ではなく、禅の教えを伝える偈という位置にあります。

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松門寺が公開している本文には、漢文と読み下しが並びます。「人根に利鈍有り、道に南北の祖無し」という冒頭付近の句から、最後の「光陰虚しく度ることなかれ」まで、一度目を通すと長さをつかめます。

禅宗の経本で初めて見かけたなら、まず本文の二行ずつを見比べるとよいでしょう。一方の語だけを説明して終わらず、次に別の側面を示す書き方が繰り返されます。

「事」と「理」の、片方だけでは読めない

前半に「執事元是迷 契理亦非悟」という句があります。個々の事柄に執着することは迷いであり、理にかなうこともまた、それだけでさとりとはいえないという、読む側の足を止める言葉です。

「事」は、形や働きを持った具体的な事柄。「理」は、それらを貫く道理に関わります。目の前の違いだけに捉われることも、道理を説明できたことで満足することも、この二句によって問い直されます。

たとえば「すべてはつながっている」と言えても、その場で相手が何を必要としているかを見落とすことはあります。これは読み方の一例ですが、抽象的な説明と、実際に出会っている出来事を行き来すると、この句の厳しさが身近になります。縁起を学ぶ際にも、関係という言葉から具体的な条件へ戻る視点は役に立ちます。

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回互と不回互、二つの語が並ぶ理由

「門門一切境 回互不回互」。感覚を通じて出会うさまざまな対象について、回互と不回互が並べられます。回互は互いに関わり合うこと、不回互はそれぞれが自らの位置を保つことを読む手がかりです。

原田雪溪の提唱は、この関わりと違いの両面に注目します。本文も、目と耳、火と水といった、それぞれ異なる働きを持つものを挙げています。目で音を聞くわけではなく、火の熱さと水の湿りも同じ性質にはなりません。

それぞれの働きがあるまま、全体として関わっている。「一つにつながるなら違いは要らない」と読んでしまうと、続いて列挙される具体的な違いを取りこぼします。本文に戻り、「回互」のすぐ隣に「不回互」があることを確かめると、片側に寄り過ぎずに読めます。

「明中に暗あり」は、光と闇の勝ち負けではない

よく引用されるのが、次の一節です。

当明中有暗 勿以暗相遇 当暗中有明 勿以明相覩

明の中に暗があり、暗の中に明がある。ただし、どちらかの相だけで相手を捉えない。言葉が反転するので、「明は善、暗は悪」と当てはめると、意味がつながらなくなります。

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鈴木俊隆の読み方を扱った千葉聡の論文では、この箇所の明を、物事を区別して捉える世界、暗を、言葉や区別では捉え尽くせないあり方として説明する提唱が紹介されています。これは『参同契』を坐禅と結び付けて読む、一つの解釈です。

明るければ物の輪郭が見え、暗ければその輪郭は見分けにくい。こうした言葉の感触を手がかりにしながら、本文では両者が切り離されていないことを読むわけです。個々の違いを見る眼と、違いだけでは尽くせない関わりを、交互にたどれます。

同じ「明」「暗」でも、前後の句や提唱によって説明の力点が変わります。一つの訳語を見つけたあとも、どの句についての説明なのかを添えておくと、全篇を機械的に置き換えずにすみます。

前後の足から、最後の呼びかけへ

本文は明暗の関係を「比如前後歩」、歩く際の前後の足にたとえます。曹洞宗の公式英訳でも、足の前後という身近な動きで表されています。歩くとき、前の足と後ろの足は位置を替えながら、一歩の働きを成り立たせます。

そして末尾は、道を探究する人に、時をむなしく過ごさないよう呼びかけます。関係についての説明で終わらず、学ぶ者自身へ声が向く結びです。

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初めて読む日は、明暗の四句に印を付け、本文の前と後を続けて読んでみる。坐禅に関わる文章をもう一つ読むなら、道元の『普勧坐禅儀』へ進めます。言葉を味わうことと、実際に坐ることがどのように結び付くか、別の角度から問う文章です。

よくある質問

参同契は、道元禅師が書いたものですか?

中国・唐代の禅僧、石頭希遷に伝わる偈です。曹洞宗の勤行で読まれますが、道元禅師の著作ではありません。

参同契の「暗」は、悪い心を意味しますか?

本文の明と暗は、善人と悪人を分ける言葉ではありません。「明中に暗あり、暗中に明あり」の句では、区別して捉えるあり方と、区別に尽くされないあり方との関係を読む手がかりになります。

参同契の全体は、どこで読めますか?

松門寺の公開ページで漢文と読み下しを、曹洞宗の公式サイトで英訳を読むことができます。初めは一節を選び、前後の句と合わせて読むと、対になる言葉をたどりやすくなります。

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