公案とは?禅問答を、答え当てにしない読み方
犬にも仏性があるのか。そう尋ねられた趙州という禅僧が、「無」と答える。禅の本でこの短い問答を読むと、なぜ否定するのか、どこに深い意味があるのか、戸惑うかもしれません。
公案(こうあん)は、祖師の問答や言動を手がかりに、自らのあり方を参究するための課題です。気の利いた返答を見つける大喜利とも、知識を確認する一問一答とも違います。ただ、その違いを知るためにも、まずは書かれている言葉を丁寧に読めます。
公案は、誰かの思いつきではない
臨黄ネットの用語解説は、公案の語源を、官府の法令や判決文に関わる言葉として説明しています。禅では、祖師の言行などから選ばれ、修行の規範や、究明すべき問いとなったものを指します。
「答えが分からない話」なら何でも公案になる、というわけではありません。誰の言葉として伝わり、どのような問答に置かれているかという背景があります。不可解な返事をまねるだけでは、その背景から離れてしまいます。
公案を参究することは臨済禅の大切な実践ですが、禅の営み全体が公案だけでできているわけでもありません。日本の禅宗の伝統を知ると、坐禅、読経、作務などとともに、公案がどこに位置するかを見渡せます。
『無門関』には、問答の後にも文章がある
公案集の一つが、無門慧開による『無門関』です。古い本文の序には、修行者から教えを請われ、古人の公案を用いて導いたものが、四十八則の集まりになったとあります。ここには、問う人と、その人を導く営みが先にあります。
一つの則を開くと、祖師の問答に続いて「無門曰」と始まる評があり、さらに「頌」と呼ばれる詩が置かれています。問答の登場人物と、それを取り上げる無門は、同じ発言者ではありません。本を読むときは、この声の切り替わりを確かめると、短い会話だけを切り離さずに済みます。
日本語の解説書なら、その上に現代の著者の訳や説明が加わります。原文、訓読、現代語訳、解説のどれを読んでいるかを見分けられます。ある解説の一文を、趙州本人が語った台詞として覚えないためにも、頁の構成を見ることが役立ちます。
序は、言句にとどまって理解を求めるだけの姿勢にも問いを向けています。それでも、公案を集めて文章にしています。言葉をなくすのではなく、言葉を自分の参究へつなぐところに、この本の緊張感があります。
趙州の「無」を、単なる否定にできない理由
第一則「趙州狗子」は、犬の仏性を尋ねる僧と、趙州の「無」という答えを記します。その後の評で無門は、無を虚無として理解することも、有る・無いの二択として理解することも戒めています。「犬には仏性がありません」が結論だとして閉じる読み方を、本文自身が揺さぶっています。
また、身体全体で疑いを起こして、この無を参究するよう促します。ここでの疑いは、他人の説明の間違いを探すためだけのものではありません。答えを知っているつもりの自分も含めて、問いに向き合うことです。すぐに別の正解へ置き換えたくなるところで、本文は足を止めさせます。
評には熱い鉄の丸を飲んだようだという強烈な比喩も出ます。口から吐き出せないほど切実な参究を表す語りです。
師家に一人で向き合う、独参という場
臨済禅で指導を担う師を、師家(しけ)と呼びます。公案についての自分の見解を持って、一人で師家に面接するのが独参です。先の臨黄ネットは、これを師のもとで学ぶ参禅と関連づけて説明しています。
妙心寺に掲載された2016年の法話では、筆者が修行道場で最初に「趙州狗子」を与えられた経験を記しています。本に載る話が、実際の指導の場で課題になる一例です。ただし、一人の経験を、すべての寺院の入門手順に当てはめることはできません。本の答えを暗記することと、自分の見解を師の前に出して確かめることは、同じではありません。分からない箇所を言葉にし、指導を受けてまた取り組む。その関係まで含めて、公案の修行を考えられます。
読者として学ぶなら、疑問を具体的にする
本を読む段階なら、登場人物の名前、尋ねられたこと、返答、その後の評を分けて書き留められます。「全部分からない」から、「無という返答と、有無にとらわれるなという評が、どうつながるのか」へと問いを絞ると、解説のどこを読み直すかが定まります。
別の表現から禅を学ぶなら、十牛図には図と詩をたどる入口があります。公案も十牛図も、自分の悟りを採点するための簡単なチェック表にはできませんが、作品を読みながら問いを持つことはできます。
実際に坐ってみたい場合は、参加先が初心者向けの坐禅会なのか、法話の会なのか、継続して参禅する場なのかを確かめます。姿勢を教わりたい人と、公案について指導を受けたい人とでは、尋ねる内容が違います。申込時に自分の経験と関心を伝えると、その会で学べることが分かります。
答えを知らないことを隠して、禅らしい言葉を返す必要はありません。第一則の「無」で立ち止まったなら、その後にある無門の評へ戻ってみる。自分が何を答えだと思っていたのかも、次に聞いてみたい問いになります。
よくある質問
公案の解説を読めば、修行を終えたことになりますか?
解説は言葉や背景を知る助けになりますが、公案を参究して自ら確かめることとは異なります。臨済禅には、師家の指導を受け、自分の見解を示しながら学ぶ実践があります。
初めての坐禅会でも、公案を与えられますか?
会によって内容が異なります。一般向けの坐禅体験、法話、継続して指導を受ける参禅などを、案内で確かめます。参加する全員が初日に同じ公案へ進むとは限りません。