五停心観とは?煩悩に応じて異なる観法を学ぶ理由
坐禅の入門書で数息観を読んでいると、「五停心観」という名前に出会うことがあります。呼吸のほかに、不浄観や慈悲観、因縁観などが並びます。なぜ、これほど対象の違う観法が一緒に紹介されるのでしょうか。
五停心観は、修行を妨げる煩悩に応じて、心を向ける対象や観察の仕方を変える枠組みです。五種類を一日でこなす課題というより、何にとらわれているのかと、そのとらわれにどう働きかけるのかを、組み合わせて学びます。
怒りと散乱に、同じ働きかけをしない
欲しいものを美しく思い描き続ける心と、相手の不幸を願う心では、向かっている先が違います。どちらにも同じように「もっと集中して」と言うだけでは、何に集中するかが残ったままです。
古い修行論では、ある煩悩に対して、その勢いを弱める観察を行うことを「対治」といいます。智顗の『天台小止観』「正修行」も、不浄観を貪欲へ、慈心観を瞋恚へ、界分別観を我への執着へ、数息観を多くの思いが巡ることへ対応させています。
この組合せには、静かに坐れているかだけでなく、どんな心が育っているかを問う視点があります。人への敵意を強めながら、その人の欠点だけを細かく観察していても、慈しみを育てる観察と同じことにはなりません。
五つの対象から、見方の違いを知る
『瑜伽師地論』は、修行する人の行を清めるための対象を「浄行所縁」と呼び、五つを挙げています。「所縁」は、心が向かう対象という意味です。巻二十六から二十七の説明を、観法の目的が分かる形でまとめると、次のようになります。
『瑜伽師地論』にある五つの対象
| 対象・観法 | 何に向き合うか |
|---|---|
| 不浄 | 身体などを、いつまでも清らかで好ましいものと見る貪り |
| 慈愍 | 生きものに敵対し、害を望む瞋り |
| 縁性縁起 | 原因と条件によって生じるあり方を見失う愚かさ |
| 界差別 | 身体を一つのまとまった自分と捉え、高ぶる心 |
| 阿那波那念 | 次々と考えが巡り、心が散り続けること |
阿那波那念は、入る息、出る息に念を向ける実践で、数を用いる修習もこの中で説明されます。慈愍では、親しい者だけに限らず、生きものへ利益を願う心が説かれます。慈しみの瞑想に親しむ人なら、単に心地よい感情を作ることより広い願いを、ここにも見いだせます。
不浄の説明は、身体を魅力的な側からだけ見て執着することに向けられています。人の清潔さや価値を順位づける話ではありません。原文には身体の内部や死後の変化を細かく扱う箇所もあり、用語を知ることと、その観想を自分で試すことは分けておきます。
界を分けて見る、という観察
界差別は、日常語の「区別する」とだけ聞くと分かりにくい観法です。『瑜伽師地論』巻二十七は、地・水・火・風・空・識という六つの界を挙げています。たとえば、地は堅さ、水は湿り、風は動きに関わり、識には眼や耳などの識が含まれます。
身体を固い一個の「私」とだけ見ず、さまざまな要素から見ていく。その観察によって、ひとまとまりだとする思いを離れ、高ぶりが薄れると説明されます。現代の人体を説明する科学の分類とは異なりますが、何を根拠に自分を一枚岩のものと思っているのか、という修行上の問いがあります。
因縁を観る場合も、出来事の原因を一つ当てて終わるのではありません。同論は、諸法が諸法を引き起こし、固定した作者や受け手を立てないことを説きます。界差別と縁起は、ともに自分や物事の成り立ちを見直しながら、観察の切り口を異にしています。
念仏観を含む五停心もある
『天台四教儀』が挙げる五停心は、不浄観・慈悲観・数息観・因縁観・念仏観です。ここでは、障りの多い者に念仏観を対応させています。界差別を含む先ほどの一覧と、項目が完全には一致しません。
したがって、念仏観を界分別観の単なる別名として置き換えると、それぞれ何を観るのかが分からなくなります。念仏・禅定・正念の違いで扱うように、「念仏」自体にも、仏を憶念する広い意味と、各宗派での位置づけがあります。古い観法の分類を、現在の浄土宗や浄土真宗のお勤めへ、そのまま重ねることはできません。
『天台四教儀』では、五停心は蔵教の声聞の修行を説明する中に置かれ、その後に別相念処、総相念処が続きます。気持ちが静まれば学びが終わるという構成ではなく、解脱へ向かう道の入口として記されています。
その日の心に合わせ、指導の中で調える
『天台小止観』は、心が沈んで明らかでない時と、浮き立って落ち着かない時を分けて、止と観の用い方を説明します。さらに、最初に用いた方で調わなければ、もう一方を試すという「随便宜」の説明も続きます。決めた方法を押し通すだけが、修行への忠実さではありません。
初めて学ぶ人なら、「自分は怒り型だから、この観法」と性格を決める前に、いま何に困っているかを具体的に伝えられます。数を追うほど緊張するのか、特定の情景を思い浮かべるのがつらいのか。こうした話は、実際の指導を受けるための材料になります。五停心観の五つは、人を五種類に固定するための札ではなく、修行の対象を丁寧に選ぶために読むことができます。
よくある質問
五停心観は、五種類を順番に全部行う練習ですか?
一律の五段階として読むものではありません。古い論書は、貪りや怒り、散乱など、向き合う煩悩に応じた観法を示しています。何をどのように学ぶかは、修行する場の教えと指導に沿って確かめます。
五停心観に念仏観が入る本と、界分別観が入る本があります。誤植ですか?
誤植とは限りません。天台四教儀は念仏観を含む五停心を挙げ、瑜伽師地論の浄行所縁には界差別が含まれます。異なる分類があるため、どの論書の組合せかを見ると、意味を取り違えずに学べます。