墓じまいの次に来る問題:「実家が残った」ときの終活を考える

カテゴリ: 儀礼・風習

墓じまいを済ませた後、意外なところに次の問題が待っていることがあります。

お墓の管理から解放されてひと息ついたのも束の間、ふと気づくのが「実家をどうするか」という現実です。両親が亡くなり、兄弟も地元を離れている。盆と正月に帰る人もいなくなった。草が伸び放題の庭、開かれなくなった雨戸、そして仏間には仏壇と位牌がそのまま残っている。

墓じまいの段階で「形あるものを手放す」経験はしているはずなのに、実家の場合はまた別の感情が湧いてきます。自分が育った場所だからです。

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空き家になった実家が抱えるもの

総務省の調査によると、日本の空き家は約900万戸。その多くが、地方に暮らしていた親が亡くなった後、子どもが都市部にいるために放置されたケースです。

問題は建物の老朽化だけではありません。実家には「処分の判断が難しいもの」が詰まっています。

仏壇、位牌、遺影、過去帳。これらは単なる家具や紙とは違い、信仰と記憶が結びついたものです。「捨てたら罰が当たるのでは」「ご先祖様に申し訳ない」という気持ちが先に立って、手をつけられないまま何年も過ぎてしまう。

加えて、親が残した手紙や日記、写真のアルバム。実用性はないけれど、処分するには心が痛む。こうした「感情のコスト」が、実家の片付けを遅らせる最大の原因です。

仏壇と位牌の「正しい手放し方」

仏壇と位牌の処分には手順があります。知っておくだけで、気持ちの負担はかなり軽くなります。

まず必要なのが「閉眼供養」(魂抜き)です。仏壇を購入した際に「開眼供養」で魂を入れているので、手放す前に魂を抜く法要を行います。菩提寺に依頼するのが基本ですが、菩提寺がない場合は僧侶派遣サービスを利用することもできます。

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閉眼供養を終えた仏壇は、仏教的には「ただの木の箱」に戻ります。仏具店に引き取りを依頼するか、自治体の粗大ごみとして処分するか。心理的なハードルは残るかもしれませんが、宗教的には問題ありません。

位牌については、いくつかの選択肢があります。

菩提寺にお焚き上げを依頼する。最も一般的な方法です。閉眼供養の後、寺院で丁重に焼却していただきます。

小型の位牌に作り替える。マンション暮らしで大きな仏壇は置けないけれど、位牌だけは手元に残したいという場合に選ばれます。

永代供養に切り替える永代供養を申し込めば、位牌の管理を寺院に委ねることもできます。

「捨てる」より「移す」という発想

実家の仏壇を処分することに強い抵抗感がある場合、発想を変えてみるのもひとつです。

仏教では、信仰の対象は特定の物体に固定されるものではないとされています。仏壇がなくても、手を合わせる場所があれば供養はできます。小さな写真立てにご本尊の写真を入れ、線香立てをひとつ置くだけでも「拝む場所」はつくれます。

つまり、実家の仏壇を閉じることは「信仰を捨てる」ことと同義ではありません。「信仰の場所を自分の生活圏に移す」ことだと考えることができます。

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納骨堂に遺骨を移した方であれば、納骨堂を新しいお参りの場にすることもできます。形は変わっても、先祖を想う気持ちが変わらなければ、供養の本質は損なわれません。

実家じまいの前にやっておくこと

実家を手放す判断をした場合、いくつかの準備があると後悔が少なくなります。

写真を撮る。建物の外観、庭、仏間、台所、子ども時代の自分の部屋。スマートフォンで十分です。記憶の依り代として、画像は驚くほど力を持ちます。

家族で最後の時間を過ごす。可能であれば、兄弟や親族で集まり、実家で最後の食事をする。それ自体が「区切りの儀式」になります。日本の仏教には、節目ごとに法要を営む文化があります。家の最後にも、そうした節目があっていいはずです。

遺品の中から「語り継ぐもの」を選ぶ。すべてを残す必要はありません。ただ、親の字で書かれた手紙や、家族写真のうち数枚は、次の世代に渡すものとして選んでおく価値があります。

仏教の「諸行無常」は、すべてが消えるという教えではありません。すべてが変化するという教えです。実家という形は変わっても、そこで過ごした時間は消えません。

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墓じまいと実家じまい、二つの「手放し」

墓じまいと実家じまいは、時期が重なることが多いものです。親が亡くなり、相続が発生し、お墓と実家の両方を同時に考えなければならない。精神的にも体力的にも、かなりの負荷がかかります。

順番としては、まず墓じまいを先に済ませ、遺骨の移転先を確定させてから実家の処分に取りかかるほうが、心理的には楽になることが多いようです。お墓という「最も手をつけにくいもの」を先に片づけることで、実家の整理に踏み出す気力が生まれます。

どちらの過程でも共通しているのは、罪悪感との向き合い方です。

「先祖に申し訳ない」「親が大切にしていたものを処分していいのか」。その気持ちが湧くこと自体は、先祖や親を大切に思っている証拠です。罪悪感を無理に消す必要はありません。感じながらも、前に進む。それもひとつの供養の形です。

仏教は2500年の歴史の中で、何度も形を変えてきました。口伝だった教えが経典になり、巻物が印刷物になり、寺院の建築様式も時代とともに変わった。形は変わっても、教えの核は残っています。

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実家が更地になっても、親から受け取ったものは自分の中にあります。それを次の世代にどう渡すかを考えることが、もうひとつの終活なのかもしれません。

よくある質問

実家の仏壇を処分するときはどうすればいいですか?

仏壇を処分する前に「閉眼供養(魂抜き)」を行うのが一般的です。菩提寺の住職や僧侶に依頼し、仏壇に宿った魂を抜いていただく法要です。閉眼供養を済ませた後の仏壇は「家具」として扱うことができ、仏具店や専門業者に引き取ってもらえます。位牌も同様に閉眼供養を行い、菩提寺にお焚き上げを依頼するか、小型の位牌に作り替えて手元に残す選択肢もあります。

実家を手放すと先祖に申し訳ないと感じます。罪悪感を和らげる方法はありますか?

仏教では「諸行無常」、つまりすべてのものは変化し続けるという教えがあります。家という形は変わっても、先祖を大切に思う気持ちは消えません。実家を手放す前に、家族で集まって最後の食事をする、写真を撮って記録を残す、仏壇の前で手を合わせて感謝を伝えるなど、区切りの儀式をつくることで心の整理がつきやすくなります。「形を手放す」ことと「縁を切る」ことは別のものです。

公開日: 2026-04-05最終更新: 2026-04-05
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