阿修羅像はなぜ合掌している?興福寺の八部衆を知る

「修羅場」という言葉から、阿修羅には激しく争う姿を思い浮かべるかもしれません。ところが、興福寺の阿修羅像は、胸の前で静かに手を合わせています。腕が六本もあるのに、いま何をしている像なのでしょうか。

興福寺の阿修羅像は、仏を守る八部衆の一体です。合掌を読む手がかりは、阿修羅が一人で何を考えているかだけでなく、誰の前に立ち、何を聞こうとしているかにもあります。

三つの顔と、胸の前の両手

興福寺の作品解説にいう「三面六臂(さんめんろっぴ)」は、三つの顔と六本の腕を持つ姿のことです。上半身には布や飾りをまとい、中央の両手は胸の前で合わされています。顔の数だけに注目すると異形の姿が強く印象に残りますが、手元を見ると、礼をする動作が目に入ります。

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仏を守る姿といっても、表し方は一つではありません。毘沙門天・多聞天には鎧を着た姿が見られます。同じ護法という役割に関わっていても、阿修羅像の合掌には、武器を構えるのとは違う、仏に向き合う身の置き方があります。

経典では、阿修羅も教えを聞く

『法華経』の序品には、仏のもとに集まる多くの人々や神々が記されています。比丘や菩薩に続いて、龍王、緊那羅、乾闥婆などの名が並び、四人の阿修羅王も、それぞれ眷属を伴って加わります。漢訳の序品では、集まった者たちが仏の足に礼をし、座に着くところまで、一続きの場面として読めます。

やがて仏が三昧に入り、花が降り、大地が震動する場面になります。そこで阿修羅を含む大衆は「歓喜合掌」し、心を一つにして仏を見つめます。ここでの合掌は、戦いを始める構えではなく、仏に敬意を向け、教えの現れる場に身を置く姿です。

『金光明最勝王経』の序品にも、阿蘇羅という表記で登場します。集まった神々は大乗の教えを護持し、読み、受け継ぎ、広めることを願います。仏を守るという言葉の中には、教えが聞かれ、伝えられる場を支える意味も含まれています。ここには神々だけでなく、王や、信を寄せる男女も集まります。皆が仏を仰ぎ、教えを聞きたいと願うところから説法が始まるのです。強い力を持つ者も、その場では教えを聞く側に立つ。この関係に注目すると、護法の像を、ただ外敵を追い払う存在として見る時とは違う輪郭が現れます。

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こうした経文を読むと、阿修羅を争いの象徴という一語で片づけにくくなります。六道のあり方を表す時と、仏の会座に加わる時とでは、文章の中で担う役目が違うからです。六地蔵と六道の説明で知った名前も、別の経典では聞き手として現れます。

西金堂に集まっていた像たち

九州国立博物館の阿修羅展の解説によると、光明皇后は母の橘三千代の一周忌供養のため、天平六年(七三四)に西金堂を建てました。阿修羅像は、釈迦如来、十大弟子、四天王などとともに置かれた八部衆の一体です。

一体の写真だけを見る時には、像の顔が問いの中心になります。群像の中に戻して考えると、仏の前に誰が集まるのか、どこへ礼を向けるのかという問いが加わります。聞き手の姿を造ることも、仏の教えの場を形にする一部だったのでしょう。

懺悔という読み方は、何を見ているのか

同館は阿修羅像の表情を、『金光明最勝王経』を背景に、自らを省みる懺悔の姿として解説しています。これは像を理解する一つの読み方です。では、その経典で説かれる懺悔には、どのような内容があるのでしょうか。

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夢見金鼓懺悔品では、妙幢菩薩が夢に聞いた金の鼓の音を、仏の前で語ります。鼓から響く偈には、家柄や財産を頼んでおごったこと、貪りや怒りに動かされたことなどを、隠さず明らかにする言葉が続きます。さらに、これから悪い行いを起こさないようにし、過ちがあれば覆い隠さない、という願いへ進みます。

懺悔は、悲しそうな顔をしていることだけではありません。自分の行いを見直し、今後のあり方を問うことまで含むのです。偈は、自分の過ちを語るところから、他の人々へも目を向けます。

後半では、食べ物に困る人や、捕らわれて苦しむ人などが挙げられ、それぞれが苦から離れるようにと願います。自分のために懺悔することと、他者を思うことが、同じ偈の中にあるのです。また、誰かの善い行いを喜ぶ「随喜」の言葉も続きます。自分を省みることは、自分の罪だけを見つめ続けることではなく、人の善を喜び、他者の苦にも心を向けることとして説かれています。

表情の答えを急がず、合掌へ戻る

阿修羅像を見て、寂しそうだと感じる人も、何かを決心した顔だと感じる人もいるでしょう。その受けとめ方を持ちながら、もう一度、手の動きや像の立つ位置へ目を移せます。顔に浮かぶ一瞬だけでなく、仏に礼をする姿全体を見るためです。

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三つの顔を、悲しみ、怒り、喜びといった決まった分類に急いで当てはめなくても、見ることは続けられます。経典の聞き手、供養のための群像、懺悔を説く言葉。それぞれを手がかりにすると、最初に抱いた「どうして戦っていないのか」という疑問から、合掌して仏に向き合う姿そのものへ、関心を深められます。

よくある質問

六道の阿修羅と、仏を守る阿修羅は別の存在ですか?

阿修羅という名は、六道の説明にも、仏の教えを聞き守る神々の集まりにも登場します。同じ名でも、経典や像の置かれた文脈によって役割が違います。興福寺の像は、八部衆の一体として受け継がれています。

三つの顔には、それぞれ決まった意味がありますか?

興福寺の像には三つの顔がありますが、顔ごとに特定の感情や人生の段階を割り当てる説明を、唯一の意味として決めることはできません。表情の違いを見比べながら、合掌や、仏に向き合う群像の一体であることもあわせて見られます。

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